2008年12月29日

新しい物好き


オフシーズンの千葉で使っているパソコンは、木賊に居る時の Mac と違って、Windows なんですが、使っているブラウザは、わずらわしくてかったるい Microsoft の IE が嫌いな私はこれまで Mozilla の Firefox でした。

ところが先日、ネットコマーシャルで Google Chrome なるブラウザを知りました。たまたまメールやブログで Google を使っているせいもあり、試しにダウンロードして使ってみたら、これが良い良い。早速 Firefox からブックマークと設定をインポートし、自分なりのブラウザに改造して使い続けています。
使い勝手やサクサク感の変わり映えはありませんし、どちらが良いかなんて事は言えませんが、マルチアドレスバーで検索までできるのが(ココが凄い、さすが Google って感じ)特に気に入りました。

     http://www.google.com/chrome/intl/ja/features.html#

シンプルな操作が好きな人にはオススメですが、別にコマーシャルをしてる訳ではありませんので、ただの新しい物好きって事で、読み流していただければ幸い。
でも、日本では IE 至上主義者が多いらしいから、ホームページの作成だけは、私も(微妙に表示が変わってしまうのを避ける為仕方なく) IE を使っていますよ。

2008年11月15日

雪が降る前に


入り口はこんな具合にロープを張って、閉鎖の札を下げてあります。

11月始めの冬支度&焚き火場解体イベントには多くの仲間が来てくれて、あらかたの物があっという間に片付いてしまった。
オープン当初は2、3人でやっていたこの冬支度も年を追う毎に協力者が増え、本当にありがたい事だと思うのであります。
ただこれだけでは終わらず、細かい後始末がまだまだ残るのが常で、時々協力者を得たりして気長にやっていたものだ。何をするかというとまず、空き缶・空き瓶の処理。これは南郷地区にある処理センターまで自分で運ばなければならない。しかも業務用のゴミ扱いとなる為有料なんです。空き缶は透明のゴミ袋に入ったままでよいが(缶はセンターにて自動でアルミと鉄に分けられプレスされる為潰してはいけないそうだ)、空き瓶は当たり前のことだがキャップをはずし色分けして持ち込まなければいけないのです。

一升瓶とかビール瓶とか返却できるものはスタローン(酒屋さん)の所に持ち込んだが、それはごく一部であって、ほとんどが処理しなくてはならないシロモノ、しかも1シーズン分。途中でやっていればもっと簡単に片付くのだが・・・・どうしても溜め込んでしまうのは性格かも?
今年はこのビンのキャップはずし、水抜き、色分け(透明、白、茶色、その他の色、オイルや焼肉のたれなどの空き瓶)作業を、練馬区からスクーターバイクでやって来る吉田さんが、「今日は寒いから体を動かせてちょうどいいですよ」なんて言いながら引き受けてくれた。大御所は早々に引き上げてしまったから1人だけ。

この後火曜の夜に現れてくれたのが横浜の森川君、吉田さんとバトンタッチしますよってな感じで来てくれ、二日間に渡り新聞紙を使った特殊な薪を作ってくれた。写真の後方に見えるのがその薪であるが、2週間ほど乾燥させなければいけないそうだ。
その合間には、前週モツ煮や石狩鍋に使って汚れたままの大鍋を洗ってくれたりと大忙し、またガスの充填に田島まで付き合ってくれたり休む暇も無かった。しかし、晴れたのは到着した翌日の水曜日だけで菅谷さんの到着した木曜日は雪の降りそうな寒い一日であったため、休養に来たつもりが働き過ぎが災いし、風邪を引いてしまって予定を2日も早め、同じ横浜から金曜夜到着の永井さんと入れ替わりに帰ってしまった。

この森川君の居る間に、空き缶・空き瓶を軽トラに積み込み処理センターに運んだしだい。3回に分けて運ばねばならないと思っていたが、なんとか工夫して2回で済ませた。
朝は気温が氷点下まで下がってくるこの時期なので、最初はしばらく滞在するつもりだった吉田さんも森川君も、日中と夜間では気温差の違う木賊の気候にすぐ馴染むってなわけにはいかないのだろう。岩風呂にずっと浸かってるわけにはいかんのだろうし。もっとも去年のこの時期にはマイナス15℃を記録している木賊にあっては仕方のない事だ。

処理センターに行った際に、キャンプに使用したガスカートリッジの空き缶を、どう処理したらよいか聞いたところ、「ガスが入っていたのではまずいので、穴を開けたうえで、つぶして持ってくればいいですよ」と言ってくれたのには助かった。
これまでは、穴を開けて他の空き缶の中に少しづづ混ぜたり、民間の処分場まで運んだりしていたが、ここ数年分は溜め込んでしまいどうするか悩んでいた所だった。
この作業は菅谷さんと永井さんの出番となるが、一個の缶を潰すのに数回大ハンマーを振り下ろさなければならず、また4、5年分の空き缶とあっては、全員筋肉痛になってしまったほどの重労働であった。
もっとも後で確認したところ、「きちんと穴を開け、ガスが入ってない事が判れば、潰さなくとも結構ですよ」だって。『な~ちこというんだよ!』

残念ながら、永井さんの働く姿を写真に収めてなかった事を申し訳なく思います。
これ以外にバイク預かり君システムの解体、自動販売機の雪囲い、来年春の分の薪作り等、まだまだ重労働が残っていたが、そこは週末、菅谷・永井両名以外に、中島さん、カッ佐藤さん、介護隊親子、あんちゃんが登場してくれたおかげで無事解決とあいなりました。
薪の材料はどうしたかというと、立ち木を3本も倒したのであります。静かなキャンプ場にチェーンソーの音が鳴り響き、ドッサーン!っといって地響きが伝わります。

これらの立ち木は、水芭蕉の湿地がある側の、先端が枯れはじめているもので、地主さんに「強風で枯れ枝が落ちるとテントに穴が開いたり、万が一けが人が出ると危ないから切らせてください」と言って、了承を得ていたものであります。
しかし、「太くて真っすぐな良い部分は、ナメコのホタ木にするから3尺の長さに切って取って置いてくれ」と言われていたから、実際使えるのは半分以下、それでも、ありがたいことである。
みんなの協力を得て、軽トラにつめるサイズまで刻みながら、小枝までもすべて薪置き場まで運びきり、切ったり、割ったりして作業終了です。有志の皆さんありがとう!

現在は唐松の紅葉も終わり、来シーズンの賑やかさを待つだけのシルクバレーとなりました。

2008年8月29日

あずまや


以前、原宿幼稚園(常連原宿組)用に、プレハブでバンガローを建てようと挑戦した場所に、最近その原宿組があまり顔を見せない事もあり、どうせなら東屋を建てようと決めたのが6月半ば。
柱に丸太を使いスジカイ無しでどうやって建てるのかわからず、また資金が乏しい事にも悩んだが、なんとかならあなと、地元の大工さんに木材の刻みと上棟を依頼した。事情を話したから少しは安くしてくれるでしょう!


あらかじめ柱の荷重がかかる部分は、6月末の管理棟の生コン打設時にコンクリを流しておいた。
そして夏休みの前半手伝う気満々でやって来た菅谷、杉崎両名他の協力で基礎となる部分の下地作りをし、8月11日に生コンを打設した。あまりにも暑い日で思い通りにはいかなかったがまあまあ。
そして8月27日大工さんが来てくれて、建て方始め!


この日は久しぶりに良い天気に恵まれ上棟にはもってこい。
しかし、地主さんから赤かぶの種まきを頼まれて自分は手伝えない。
手伝うまでの事もないのだが・・・・
私は種まきの合間に写真撮影。
ユニック(クレーン)を使っての組み上げ作業だから、重い柱でも、梁でも簡単に持ち上げ、手際の良い作業が続いている。


赤かぶの種まきはと言えば、耕耘機の担当にさせられてしまい、畑を耕しながらの種床作りだが、土が湿っているせいかとても重かった。若者がいないのよー!
やはり農家の仕事にはきついものがある。しかし、食料自給率の低い日本はこういった課題も合わせて、就労者の第一次産業離れをどう食い止めるか等々、クリアしなければならないハードルはたくさんある。
10時の休憩で仕上がり具合を見に行ったら、もう梁が組み上がっていた。
プロフェッショナル!!


お昼には東屋の形が出来上がってきた。
2時ぐらいにはもう棟上げが終了してしまい、大工さんは片付けをして帰ると言っているので、屋根の下地になるタル木まで取り付けてくれるよう懇願し、足止めをした。
そしてここまで完成!
このあとは私の仕事であって、トタン屋根の下地になる野地板張りをする。
最後は板金屋さんによるトタン張りで本当の完成である。


東屋の建った場所、どの辺かわかるかな?

この中で焚き火をしたり、中にバイクを停めたり、テントを張ったりする事は許しませんぞ!

2008年7月9日

基礎工事


ユーラシア大陸の横断から早一年が過ぎてしまった。

あきちゃんも先月あこがれのロシアに行って来て、良いとこ、嫌なとこ、いっぱい見てきたようだ。
私の運が良かったのかどうか、今思い浮かべれば良い思い出だけが、脳の中のスクリーンに映し出される。この後お世話になった人達に浴衣とか車の雑誌とか、贈り物をする予定、約束しちゃったし。
来年はちょっとだけ東南アジアを旅する計画があるものの、しばらくはじっとしてしていなくてはならない。

そんな訳で今年はキャンプ場の設備の充実をはかろうと、念願の焚き火場改築計画の前提となる旧水場を移動して、管理棟に改造する工事をスタートさせた。
何せお金をかけたくないもので、自分の力でやる他ない。まあ重機を使わなくてはならない部分は仕方ないにせよ、幸いにもプロの左官屋である仮称ノシアワビさんのアドバイスをいただきながら、更に主夫をしていて時間の取れる菅谷さんを始め、悪天予報にもかかわらず良いタイミングで来てくれる常連さんの力を得て、レベル出し、鉄筋張り、土間コンクリ打ちも難なく終了した。

更には基礎の立ち上がり部分の型枠作りに関し、腐りかけた怪しい材料にあっても、仮称ゴリラが持って来てくれた木材や、ノシアワビさんからお借りした鉄パイプで完璧な補強ができ、プロのような仕上がりとなった。
また、週末土曜日に予定していた生コン打設がプラントの都合で急遽金曜日に繰り上がり、人員の確保が出来ないと思われていたが、運良く1週間滞在中のノシアワビさん他、仮称ジゲン、仮称ゾンビ、仮称チュパチャプスさんがいてくれたおかげで、事無きを得た。

また当初仮称 tomo さんからお借りする予定だったバイブレーターも地元の建築屋さんが貸してくれる事で解決した。「このバイブレーターがなかったらどうにもならなかった」と、あとでノシアワビさんが語っていた。直射日光が強く何もしていなくても暑い日だったが、全員精一杯働いてくれた。特にプロのノシアワビさんが居合わせてくれた事は本当に心強かった。
地元の生コンプラントが倒産した為、現在生コンは田島からやって来るので、なかなか融通が利かなくなってきたのは痛いが時代の流れというやつだから仕方のない事だ。

型枠をばらしてみれば言うこと無し!これで終わったという訳でもないが、ひとまず安心。あとは、木の土台を取り付け、旧水場の建物を引っ張ってきて乗せるだけ。
だだ単に乗せるだけと言っても、加工はしなきゃいけないし、あの大きく重いものを引いてくるのは大変な作業なのだ。また、皆の都合のつく日を選んで協力してもらわなければならないのは確か。「みんなで作るキャンプ場だから協力するよ」と言ってくれる常連さん達に心から感謝したい。

暑いなんて言ってられない。さーやるぞ!

2008年6月18日

ヒルクライム3連発


空気は冷たいのに日差しが痛く感じるこの季節。
ちょっと遅い気温の上がった昼頃の出発で、行けたら沼山峠(尾瀬への登山口)まで行こうと菅谷氏と共にペダルをこぎ出した。
緑資源小繋林道スカイライン(旧大規模林道)を登り始めて暫くすると、汗が額から垂れてきて目は痛く口がしょっぱい。やっとの事で峠を登り詰め、トンネルを抜ける。

汗だくなのに1300mの標高はやや寒い。会津駒ヶ岳の見える場所で自転車を止め、ウインドブレーカーを羽織り、檜枝岐方面へ一気に下る。路面には所々石が転がっているから、スピードは最高で60km/hぐらいに控え安全走行。それでも登りと違って下りはあっと言う間。
檜枝岐集落の『清水屋』の側に湧いている、おいしい清水を汲んでお茶代わりに、そこのベンチに腰掛けて、持って行ったパンとお菓子を昼食として食べた。エネルギーの補給も済んで、水筒に水を詰め、再び尾瀬方面へとペダルを踏む。無理はしないつもりだったから、超スローペースのオヤジ走りで、景色を堪能しながら、御池(みいけ)までの登りを目指した。

やはり高齢者予備軍の我々には、いきなりヒルクライムはやや辛かった。なんとか御池の駐車場には辿り着いたものの、さらに9km先にある沼山峠は、時間も遅くなるので勘弁してやった。というのも、もう一度小繋峠を登らなくてはならないから、余力を残しておかなくてはいけない。
来ちゃったものは、引き返さねばならない。燧ヶ岳を仰ぎ見て、冷たくなりつつある空気を目一杯吸い込んでから引き返した。
戻りの小繋スカイラインもきつかったが、ヒルクライム3連発を達成した充実感を味わったという事で、"今回は"良しとしよう。

2008年4月23日

露天風呂とバイキング


キャンプ場のオープン準備に集まってくれた仲間が帰った翌日の月曜日、朝6時半起床!
週末の飲み過ぎと寝不足がたたり、早めにダウンしたせいか、おのずと早く目覚めた。

朝食を済ませたあと、前日から温泉ライターのIさんより「入れます」と、情報をもらっている、金山町にある大塩温泉の季節限定露天風呂を目指し、S氏と共に期待に胸躍らせながら1時間の道のりを行く。時々右足のつま先を、マニュアルデミオのブレーキペダルへ、かかとをアクセルへ同時に乗せつつ? 只見川に合流する伊那川の流れや雪を被った浅草岳を眺めながら快走。

雪融けのこの時期だけしか噴出しない、正に限定露天風呂。ここは民宿『たつみ荘』さんが管理をしており、温泉愛好家には有名な場所。しかも、隣の共同浴場と同じく、炭酸を含むソーダ温泉。
7時半に到着し、『たつみ荘』の女将さんに露天風呂に入りたい旨を伝え、案内してもらうと、すでに民宿泊の二人が入浴中。脱衣場も無い只見川の土手の中腹にあって絶景、しかも陽が昇って青空、柳の枝にはメジロ(ウグイス)が戯れている。まだ数えられるほどの花びらしか付けてない、すぐそばにある桜が満開だったら申し分なかったなぁ、と思うのは贅沢か?

湯温はややぬるめで、長く浸っているにはちょうど良い。あー満足、満足!
3時間以上の超長湯をしている間、延べ10人ほどが悦に入っている。また、人懐こい『たつみ荘』のご主人が湯船の掃除にやって来た際、居合わせた者達で世間話をしながら手伝ったりもして、季節限定の秘湯を十分過ぎるほど堪能してしまった。ちなみに前日の晩に居合わせた人は、満月を拝みながらの温泉浴に、皆感無量だったそうだ。
以前にも紹介したが、この温泉の近くには炭酸の湧き出る井戸があって、誰でも汲むことができる。水量の多いこの時期は、有名な『ペリエ』のようなマイルドな炭酸水を飲む事ができる。
『たつみ荘』H/P中の"店主の日記"には、逐一この界隈の情報が入力される。

温泉に入ったあとは・・・当然仕事、かな?・・・ん~ん、今日は休もう!・・・運動しよう! ってな事なら『バイキングー』("Biking" not Viking not Buffet)。
帰りがけ車を停め、川面に映る会津のマッターホルンをじっくりと観察して、定休日で閉まっていた『美好食堂』を横目にキャンプ場へ戻り、昼食をとった。
食後の休憩もそこそこに出発準備、行き先は、二人で決めていた桧枝岐!大規模林道はまだ通行不能故、木賊街道を下る。
往復で約70kmあるからバテないようにゆっくりペースを維持し、時たま休憩を取りながらのメタボ解消サイクリング。伊那から桧枝岐、尾瀬方面へは桧枝岐川沿いにだらだらと登りが続くので、人生半ばを過ぎた(ばかりの)我々にはややハード。サイクリングというよりも、バイキングと言った方が(聞こえるニュアンスは)妥当かもしれない。それでも、"登りはつらい"なんて弱音は吐きませんぞえ。

足にはハードながら、口ずさむメロディーは、
♪アライグマママママママママ、マントヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ、ヒトコブラクダダダダダダダダダ、ックスフンドドドドドドドドド・・・・♪
ってなもんで、気分は軽快!と、言えなくも無い。
テレビコマーシャルの印象が強かったのかどうか、ペダルを漕いでいる間中、ずっと頭から離れない。この曲には『しりとりロックンロール』という横浜銀蝿の元歌があり、それをアレンジした『 いっしょに笑う。いまが好き。』というタイトルがついているそうな。

最後のスノーシェッドを過ぎた辺りから、グッと気温が下がってきて空気が冷たい。山あいの雪もやや多い感じだし、やはり桧枝岐は寒い地区なんだと、あらためて思う。
どこでUターンしてもいいのだが、ここまで来たら「燧ケ岳の見える場所まで行っちゃおう」ってことで、地元の人に尋ねたら、「今日は曇っていて頂上はみえないけど、燧はミニ尾瀬公園の橋を渡ればみえるかな?」と言われ、ミニ尾瀬公園へ。
駐車場の除雪作業をしている人に許可をもらって、半開きの扉を通りぬけ、橋を渡って、川の上流に目をやると、ジャーン!燧ケ岳が見えましたー!
一応この地点で目的を達成した我々二人は、疲れた顔も浮かべず、来た道を逆方向に下り始める。最後に木賊街道という登りが待っているものの、充実のバイキングであった。
Sさん、また行こうよ!!

2008年4月16日

Uう


ウ(鵜)、カワウ(川鵜)だと思う。 長良川の鵜飼に使っている ウミウ(海鵜)よりもやや小ぶり。

ここは印旛沼、久々にサイクルロードを軽く流してみた。ふだん駐車しているオランダ風車の所は『チューリップ祭』の真っ最中で進入禁止。すべての車両が1回500円の臨時駐車場に誘導されるから、ややムッとしつつも仕方なく、北へ5km離れたナウマン象の駐車場まで移動した。今日はそこから出発し、北へペダルをこぎだしたしだい。
とろとろ走る、平均年齢の高い人が多く見うけられたので、自分もそれに習い?印旛沼の水面を見ながらの、水鳥探訪ソロサイクリングとあいなった。

2月頃まで良く見かけた渡り鳥のバンが見当たらない。シベリアへの旅に出かけてしまったのだろうか?このオレを差し置いて。
たくさん見かけたのはやっぱりカモ、他には"ウ"、水鳥ではないが、サギ、キジ、小鳥もろもろと住人のペリカン君、それに『日本ガチョウの会』かどうかバードウォッチャー達。
繁殖の時期なのだろう。ほとんど"つがい"でいたのを見るにつけ、羨ましいと思う。何がじゃー! 鵜呑みにしないで♪

帰りがけ、サイクルロードを外れて、この辺りで有名な『吉高の山桜』を見に行った。テレビでも紹介されているから有名なんでしょう。
今が満開と聞き、行ってみた訳だが、山の中だっていうのに交通規制をするガードマンまでいるとは驚きであった。
ソメイヨシノと違って、ヤマザクラの場合は満開でも、たくさん葉が付いている。胴回りは7mほどあるそうだ。私を含めてカメラを持った写真家が、本人のみぞ認める最優秀作品をバチバチと撮っていた。

なんて事ない今日のサイクリングではあったが、気分爽快、軽いエクササイズで、充実した一日を送れた。
家でゴロゴロと、今年のようなオフシーズンの生活を送り続けたなら、先行き認知症になる事間違い無し、なんたって両親とも認知症なのである。
テレビ人間を卒業して働くぞー!

2008年4月14日

Restoration(維新)


写真は知る人ぞ知る・・・・

ここには明治維新で日本を近代国家に導いた、坂本竜馬他、勝海舟、伊藤博文、西郷隆盛、大熊重信、岩倉具視、高杉晋作、桂小五郎(木戸孝允)、大久保利通など幕末から明治を代表する維新志士や明治天皇まで、当時のそうそうたる顔ぶれのほとんどが揃って写っている・・・・

写真自体は本物だと言われている。しかし、一部の人物は本人だが、似ているだけであって、真偽のほどは全く不明とされる。

そんなのかんけえねえ!そんなのどうでもいい。年齢!年齢!
歴史の時間に学んだでしょ!聞いたことはあるでしょ!その彼等が活躍した当時の年齢を思い出して欲しいな。20代、30代の若者がほとんどなんだよ。しかも、たいていが下級藩士の出。その若者達が日本を変えたんだよ!! 爛々と目を輝かせてね。

現在の日本の政治家?官僚?ご都合主義的な評論家?・・自分?
消費期限を過ぎてまーす!

そんなんじゃなくて~、信念、感性・・・・デジタルからアナログー!へのRestorationはないのかな~っと、時々「老」を考えたりする自分がいる。

夢、現実、流れに任せるしかないってか?
テレビ人間に成りきった自分はしばし思うのであった。

ヒトの批判ばっかりしてる人がなんと多いことか。
3回けなしたら、1回くらい褒めることをおぼえな! あっ、自分もだ。 

2008年4月11日

開花準備


テレビに向かって世の中や政治家の理不尽さに怒りをぶちまけている1人の老爺。
そのくせ、この認知症患者本人宛に届いた『年金特別便』や『後期高齢者医療被保険者証』に対しては全く異に返さずと言うより目も触れず・・・・
主夫をしている今回のオフシーズンの間は父親の介護に追われる毎日だったと振り返るが、仕事を含め何もしなかったという悔いも残る。

それはさて置き、家の庭で野草と化したチューリップの花が今にも咲こうとしている。また隣の家のプラムの木もピンクと白のツートンの花で満開になった。
開業15年目を迎えるシルクバレーのオープンもいよいよ。木賊界隈は今もって雪に覆われているが、通年通りゴールデンウイークには融けると思うし、桜の花も満開になる事だろう!

花が満開ならそろそろ自分も全開と行かなくっちゃ!これまで充電どころか電池切れの期間がやや長すぎた感がある。テレビ人間と化し、家でごろごろと堕落しきってしまった自分をちょっと欲張って、賢者として甦らせなくてはならない。まずは手始め、ガソリンはまた値上がるだろうから、キャンプ場と千葉の往復は極力バイクを利用し燃料代を節約する事とすべく、ほとんど乗ってなかったバイクのエンジンをかけ、いつでも乗れるようにしておく。自転車での木賊街道往復を日課(目標)とすべく体力づくりに努める。肝心なホームページの更新に取り掛かる。などなど、掛け声だけで終わらないよういざ出陣!

2008年3月16日

ねんきん特別便


未来にかすかな光が!

一般国民がもっとも気にかけている事のひとつ。そして、もっとも怒りを感じているであろう、お役所からの書類が手元に届いた。
まだ年金なんて年でもないのに~・・・・っていうか、これが届いたってぇことは、わずかではあっても年金がもらえるってわけだ。ヤッター!
自分の経歴からして、もらえるなんて思っても見なかったもの。表書きに 「ねんきん特別便」です。年金加入記録にもれがある可能性があります。十分お確かめの上、ご回答いただきますよう、お願いいたします。 とある。

もう嬉しくて、記録もれなんてどうでもいいと思いつつ封を開いてみたら、自営の会社をクローズしてシルクバレーキャンプ場を始めた年から、ちゃんと国民年金に切り替わった内容が記載されていた。
カミさんがしっかりと扶養に組み入れていたのが反映されている。不要家族ではなかったようだ。ひとまず安心。シルクバレーを始めて以来、収入激減の私に、年金の支払い能力なんてあるわきゃないし、年金の事はすっかり諦めていたのである。

そうとなりゃあ、脳のデータファイルから年金フォルダを開いて・・・・未確認だが記憶が正しければ数ヶ月の記録もれがある。たぶん年金手帳が2冊あった為ではないか。
過去において、自らの管理の悪さがあり、年金番号を統一する申告を怠ったわけだから、社会保険庁を責めるわけにはいかない。逆に記録が残ってるって事は社会保険庁もまんざらではないじゃん。
私の場合は運が良かったほうで、そうでない人達が沢山いるという事実がもどかしい。

受け取れる年金は極わずかだろうが、自分の将来に光明が差したというわけだ。
私の人生これからが後半戦、大器晩成(いい手相してるんだよ)と行こうではないか! 自分から言うものではないな....フムフム。

2008年3月13日

春を待つマッターホルン


先日火曜日、「昼飯はソースカツ丼でも食べに行こうか?」と、チェンダオ鯰と二人で、積雪が木賊よりやや多めの只見方面に行ってきました。

正午を少し過ぎたころ、目的の『美好食堂』を覗いてみたら、車は溢れ、席はいっぱいの大盛況だった。空腹でたまらないという訳でもなかったから、また後で寄ってみる事に決め、金山町にある炭酸泉『大塩温泉』に向かった。
途中、「いい山だなー!」「あの頂上と木賊温泉は同じ高さなんだよねー!」なんて言いながら、会津のマッターホルン蒲生岳(標高828m)を眺めたり、炭酸の湧き出る井戸を見に行ったり(残念ながら雪に埋もれて近づけず、水を汲む事ができなかった)して、青空と白い山々を映す只見川を下った。
『大塩温泉』は期待していたほどお湯から気泡が上がらず、炭酸成分は以前行った時よりも少ない気がした。でも温泉としては満足。また、春先だけ吹き上げる露天風呂はまだ雪に埋もれていた。
午後2時近くになって、再び戻ってきた『美好食堂』のドアーを開けたとたん「いらっしゃいませー!」の後に「ご飯を切らしていますけどいいですか?」のお言葉。
目的のソースカツ丼は食べられなかったけど、二人とも野菜たっぷりの美味しい味噌ラーメンを注文した。この食堂はソースカツ丼以外のメニューもすべて旨いからノープロブレム。
ここでこの日の夕飯が決まった。「ソースカツ丼を作ろう!」
満腹になった後は、居眠りを克服しながらの運転で、この日3湯目、この日2度目の木賊温泉を目指した。

今回の二人の木賊行きは正に温泉三昧、スポンサーを期待した大黒さん、居ると思ったジゲン、電話をすれば来ると思ったシンちゃんに振られはしたが、東京稜行会の吉田さんが二日に渡って顔を出してくれた。
木賊地区が限界集落である事が本当にもったいない! 何とかしよう! 皆に協力を要請する!

先ほどジゲンより『今、木賊!コール』があった。

2008年3月7日

DVD借りちゃった


「100円デーだったから借りてきた」と言って、長男がテーブルの上にDVDのディスクをポーンと置いていった。なんと『シンドラーのリスト』。
映画の存在は知っていたが、興味が湧かず一度も見た事が無かった。だが....

以前よねぞうさんが掲示板に書いてくれたように、去る2月3日土曜日、木賊での夜、NHKのBS2でこれをやってたんです。3時間以上の長い映画を一挙に放送。
昨年夏にポーランドを通過した際、このスピルバーグ映画の舞台となった古都クラクフや、ビルケナウ(アウシュビッツ)強制収容所も見学してきました。それ以来、見たい映画のひとつになっていたのです。
そんな話をしながら見ていましたが、キャパを超えるお酒が入っていたせいもあって、その間ほとんど眠っていました。自分では見ていたつもりがストーリーが全く解っていなかった。

この事がちょっと悔しく、後でもう一度見たいなあと思い、「ついでがあったらレンタルDVD借りてきてくれ」と、長男に話しておいて良かった。
そんなわけで昨夜は、心わくわくでテレビに向かった・・・・グーグー・・・またもや!

この映画を見たことのある人はたくさんいるだろうから、内容や感想は記さないが、ホロコーストや強制収容所についてのさわりは理解できると思う。

でも、史実は想像を絶するほど悲惨なものだったろう。  広島、長崎・・・戦争・・

2008年3月6日

ユーザー車検

友達がユーザー車検に行くというのでお付き合いしてきました。

場所は千葉陸運支局、年度末という事もあり若干混雑しておりました。
それでも、4つある検査ラインのうち1ラインは閉まっていました。最後尾に並んでから終了まで30分ぐらい。まあ、予備検査、申請書類の作成と車検証の受け取りを合計すれば1時間半ってところかな?

陸運支局の近くに民間がやっている予備検査場というのがあって、車検で行う項目を1500円ほどでチェックしてしてくれる場所がある。特にシロウトが車検で一番ひっかかりやすいのは、ヘッドライトの光軸調整なので、私は事前にそこに寄ってから本検査を受ける事にしている。

時間の作れる私の場合、ユーザー車検制度が施行されてから、ずっとこの方法でやっています。車に関して、お金をかけるのがもったいないと言う発想から、自分で出来る事はすべて自分でやる主義(実は貧乏)。

電光表示板の指示通りにやればいいのだけれど、最初の頃は戸惑ったものだ。でも、検査官は親切に教えてくれるし、後に並んだ人も急かす事はまずないから(心の中では「早くしろよ!」って言っているかも)落ち着いてかかればあっという間に終わってしまいます。

以前シンちゃんブログで「ユーザー車検は簡単に終了しました」なる書き込みがありましたが、まさにその通りです。

2008年3月1日

利根川サイクリング

ポカポカ陽気に誘われて、チャリンコで利根川行を試みました。
認知症老人の介護兼主夫業、どちらかと言えば自宅滞在型怠惰生活による食べすぎで、この数ヶ月でメタボ度指数が5段階ほど増した。その為、体の動きがだいぶ鈍くなり、これは直ぐにでもエクササイズをする必要があると自覚したのであった。
昨日までの冷たい北風はどこかに行ってしまい、朝から春のように暖かい。今日は正にサイクリング日和だ。思い立ったらじっとしていられない私。犬の散歩は5分で切り上げ、出発準備。スタートは11時と遅かったものの、いつもの印旛沼サイクルロード、オランダ風車のある広場に直行。稲毛海岸まで往復とも考えたが、北側の駐車場に車を止めたこともあり、何も考えずに5km先のナウマン象の親子像のある北方向にハンドルを向ける。おやおや。

平日とあってサイクルロードに人は少ないが、いつものように三脚にスコープを付けたバードウォッチャーやカメラに大砲を取り付けたバードハンターが何人も獲物を狙っていた。まあ、そういった人達のほとんどは、裕福そうなリタイヤ組であると理解できる。
自分は鳥に関して詳しくはないが、水辺にはバンらしき鳥が泳いでいる。シベリアあたりからこの印旛沼へ越冬に来る渡り鳥や珍しい水鳥でもいるのだろう!そんな事を考えながら走っているうち、まだ行った事が無い利根川まで行っちゃおうっかなーって気になってしまった。せいぜい片道20kmぐらいだろう。


ナウマン象ポイントをそそくさと通り過ぎ(写真をパチリ)、中央水路を抜けると成田新幹線の工事現場にさしかかる。完成後本当に新幹線が通るかどうかは不明だが、何年か後には成田空港から都心まで第三の鉄道が開通する事は間違いない。印旛沼は干拓によって二分され、南部と北部が中央水路で結ばれている。この辺りまで来ると、成田空港に着陸する飛行機やニュータウンのビルが見えてくる。印旛沼サイクルロードは残り5km余り。終点からつながる交通量の少ない細い一般道をさらにチョロチョロ進んで行くと、そろそろかなと思う頃、待望の利根川の堤防が見えてくる。



千葉県印旛郡栄町を流れる利根川の川幅はさほど広くはない。スタート地点からここまで1時間。利根川サイクルロードを上流に向かうか下流に向かうかかは到着前から決めていた。今回は銚子方面に1時間ぐらい走るぞと。
しかし、成田方面に向かって5kmほど行ったところで、突然舗装が切れてしまった。道はずっと続いているがしばらく行っても砂利と草地のまま。ロードバイクではちょっと厳しそうなので引き返す。この辺は今日が南風とあって、成田空港に進入する飛行機が着陸態勢に入り、高度を下げながら数珠繋ぎで飛んで来るから結構壮観な場所だ。

利根川に出た所まで引き返し、今度は上流にペダルを漕ぐ。千葉県我孫子市と茨城県龍ヶ崎市を結ぶ橋の所でサイクルロードがいったん途切れたので、ここで戻る事にした。利根川ですれ違った自転車は5台だけ、散歩をする人も見かけたがガラガラだった。
スローペースで走ったにもかかわらず、体はヘトヘト、足はガタガタ、腹がすきすき。持っていったペットボトルのお茶とおにぎりはすでに消費済みだったし、コンビニの看板を見たとたん耐え切れずに飛び込んで、パンと甘いコーヒーを調達。やはり食料は多めに持つべきである。反省。


帰り道で年老いた風のペリカンに遭遇した。近くにいた人に尋ねると、7・8年前から居付いていて、餌を与えているから人間にも慣れているそうだ。この先には黒猫が待ち構えているかもしれない。
まだ陽が高かったから残りの行程はのんびり走った。

今日はソロ走行だったが、それなりに楽しむ事ができた。走行距離は75kmぐらいかな?
サイクリングが終わって車で家に戻る途中、飲食店を営む友達のところに寄ったら、飲み物や食べ物をたくさん出されてしまった。断る理由も無いので遠慮なくご馳走になった。
いったい今日のエクササイズは何だったんだろう?

信頼のニコン



保障期間はとっくに過ぎていたんですが、前回と同じ故障の為、修理代は無料でした。
ニコンの修理担当者氏から、(概略)「・・・・。・・・カメラの不具合により大変ご不便をおかけしました事、誠に申し訳なく存じます・・・今後共・・・製品開発・品質向上・アフターサービス向上に努める所存・・・・何卒ご理解・ご寛恕の程・・・。・・・・。」と記された文書が同封されていました。
こういった事は以前には無かった事。もっとも、修理に出す際、「ニコンを信頼して買ったのに、不運にも私の D40 は使いたい時に限って故障してしまいます。」といった、嫌味とも取れるメモを入れたせいかもね。でも、誠意は十分に伝わってくる。

今後も故障する可能性は無きにしも非ず。それでもずっとニコンを使い続けたい。
ニコンにこだわる私は古い人間かも知れません。
デジカメ時代になっても、信頼のニコンは不滅です。・・・・やっぱり古い?

2008年2月21日

3度目の修理


本当に使いたい時に限って故障する私のデジカメ Nikon D40。
症状はスイッチをオンにしてもエラー表示が出るだけで、撮影スタンバイの状態にならないというもの。この度、同じ故障で3回目の入院となったのであります。
ニコンで一番安いデジタル一眼レフ( Made in Thailand )だから仕方がないって?
そんな事はございません、言えません、ニコンですよ。以前、フィルム時代のニコンを2台も愛用していましたが、故障したことは一度もないし、今でも持ってる FM2 は現役復帰をしようと思えば即座に可能です。だから、信頼のニコンである事をずっと、ずっと、ずーっと信じています!
いったい故障の原因は何なのでしょうか?

ニコンへの修理依頼は今度も便利な Web修理 という方法を取りました。家に居ながらにして頼めるのでとても便利です。若干の送料負担はあるけれど、梱包用の箱まで送ってくれます。
しか~し、すでに今回は保障期間が過ぎており、修理代がとても気になるところでした。
ところがです、前回の修理済み伝票を同封すれば、修理代は無料になりますよとの表示を発見、思わず笑みがこぼれました。
Web修理の手続きをすると即座に「受付完了」のメールが入り、送ったカメラがニコンに届くと「荷受完了」に続き「修理品確認完了」のメール。
こうした細かい配慮は依頼主としてありがたいものですなー。

「修理完了」、「発送完了」の知らせが待ち遠しい! 
「新品に交換」なんてメールは絶対に来ないだろうなぁ~・・・・

2008年2月10日

4 travel


ある人に薦められ、価格.com が運営する、『 4travel 』 にユーラシア大陸横断の旅行記をアップしてみる事になった。
「見に来る人が以外と多いから知名度が上がるよ!」と言われ、少し覗いてみたら、旅行案内に関連したサイトであり、溢れんばかりの記事があった。カメラ関連からの投稿もあって、価格.com の影響力の大きさを痛烈に実感し、すぐその気になってしまった(軽いな)。
しかし、改めて記事を書くとなると非常に面倒くさいので、ここ Google のブログを説明の中で、そのままリンクしちゃう事に決め、メンバー登録をした。
当然写真も登録できるから、適当な写真をピックアップし、整理したみたが、個々の写真に付けるコメントを書こうとすると、またまた一苦労しなければならないので、しばらくはコメント抜きでやってみる。
サイトはブログっぽくなっており、見やすくできているが、内容を広く伝えようとすると若干の制約がある。投稿内容について、あまり制限は無いが、たとえばシルクバレーキャンプ場のコマーシャルに利用する事はできない。また、写真が多いと表示に時間がかかるとあったから、4編に分けてアップを試みた。
それにしても、ユーラシア大陸横断関連の記事だけに限っても、多いこと、多いこと!

先ほど、所ジョージの番組『 笑ってコラえて 』でちょーど、ポーランドのワルシャワを紹介していた。昨日写真を整理している時、ここもチェックしたばかりだったから、改めて、気温37℃の太陽が照りつける中をキュリー婦人の生家(最初の写真)や、ワルシャワの旧市街(次の写真)を腹をへらしながら歩いた事を思い出してしまった。ワルシャワを出て直ぐ、クラクフへ行く道に迷い、郊外を右往左往した事までも....

テレビを見ていると、国内外を問わずあらゆる場所を紹介する番組が多いので、今までに行った見覚えのある所が映し出されたりすると、そこがとても身近に感じられる。
先週は友達から「テレビ東京で湯の花温泉やってるよ!」と電話があったり、TBSの『 世界ふしぎ発見! 』では、 感動ものだった中国の大理(ダーリ)の映像が流れていた。
年齢をくったって訳か!!