2007年7月24日

目的地ドイツに到着・・・・物価が高い!


7月18日 最終目的地であったドイツに入国。結局、ベルリンに在住していたパウルスの転勤がイタリアに決まった為、車はそのままドイツに置いてローマまで行く事になったが、ドイツには2週間ほど滞在して、ローマでパウルスを訪ねたのち8月早々に帰国の予定。

ウラジオストックから始まった自動車でのユーラシア大陸横断のブログはこれで終わるが、モンゴルやこのあともう少し残っているドイツ国内の走行を含めると、およそ2万キロを走った事になる。ほぼずっと天気にも恵まれ、何事も無く無事に来れた事は本当にありがたい。
およそ2ヶ月に渡る旅で出会ったたくさんの人達に感謝すると共に、いつも快く迎えてくれる友人を本当にありがたく思う。また個人的に常に感じていたことだが、言葉の障壁に何とも歯がゆい思いをさせられた。私にとって生涯の課題はやはり語学かも知れない!

今後の若い人達にとって、さらに容易に、さらに自由に、我々が実行した様な、いやそれ以上の旅がどんどん出来るようになる事を望みたい。
しかし、ロシアという国を短期の観光目的以外で、長期に渡り自由に旅行しようとすると、ビジネスビザの取得という制度が立ちはだかるが、その取得も決して不可能ではない。逆に一般のロシア人達も制約がなくなる事を願っているのは事実だから、あとは政府間同士でもう少し努力してくれればいいと考えている。

EU圏に入ってからというもの、あまりの物価の高さに驚かされたが、特にドイツにおいては車の燃料代が日本の倍近いのには呆れてしまった。
そこでさらに、経済成長の著しいロシアの物価までもが急上昇している事実を見てくると若干気になるところである。だが、これも世界的な状況なので何ともし難い事である。

《情報》シベリア横断道路を東から西に向かった場合、ハバロフスクからチタの間、ハバロフスクを過ぎて1/4ほど進んだあたりから約1500kmがダートです。しかし、どんどんパイパス工事が進められていますから、数年後には舗装にならなくもだいぶ走りやすくなると思います。また、イルクーツクからクラスノヤルスクの間にも300kmほどダートがあります。そこから西はすべて舗装で西に向かうほど快適な道路へと変貌します。それから特にクラスノヤルスク以東は街中の舗装が非常に悪いし、幹線道路でも傷みのひどい所も数多くあるので走行には常に注意が必要です。

ともかく、飛行機を使わずに自分の車に乗ったままユーラシア大陸(その殆どがロシア)を横断してヨーロッパに到着できた事に対し、同行の杉ちゃん共々とても満足しています。
それから携帯電話はロシア、モンゴルを含め、完璧と言っていいほどどこに居ても良く繋がります。世界は広いようで結構狭く、狭いようで広かった。 Euasia!! Eurussia!! 万歳! 【 完 】

バルト3国からEU圏へ


7月14日 キャンプ場を出てから燃料を補給、軽油は予想以上に高く日本円に換算すると180円ぐらいするのには驚き、やっぱりロシアは安かったのだ(ロシアは70円から90円)。ラトビアの首都リーガの町に入り、エストニアのタリンと同じように常道である旧市街を見学して、次のリトアニアに向かう。EUに入ってからは、国が変わっても通関はスンナリいってしまって、出国のほうのチェックがあるだけで入国する国の方にはなく(建物だけは残っている)一箇所で済ませているようである。あっという間にラトビアを後にしてリトアニアに入り首都ヴィリニュスには向かわず、幹線道路からそれ、願いやお礼の意味を込めて祭られた十字架の数がとてつもなく多い所だと言う、十字架の丘を見学してからポーランドを目指す事にした。幹線道路に向かう道の途中から首都方向に伸びるスーパーハイウエーがあり、途中まで利用したら、やや薄暗くなってきたものの、あっという間に国境近くまで来てしまった。このままポーランドに入ってもいいのだが、燃料補給があるしと思いつつ走行しているうちに、程よいパーキングを見つけたので、そこで車中泊を決定。
7月15日 朝一で国境を抜け、ポーランドに入る、若干道は細くなったが走りやすい。一度警官の停止命令を受けたが問題なし。その後は日本なら完全にスピードオーバーという速度で順調に走り、直射日光と照り返しの一番強い昼頃、ワルシャワ市内に到着。
車を市内観光をするには最適の旧市街側のパーキングに停め、、キュリー婦人の生家や宮殿などを一通り見学して、次ぎの目的地クラクフに向かう。この日は、どこかのキャンプ場に泊まるつもりなので看板を見つけながら走り、早い時間に運よく綺麗なキャンプ場を発見。美味しいビールを飲みながらちょっとマッタリする。まともにテントを使って寝るのは今回の旅では初めてかもしれない。車のほうもベッドになるよう改造してあるが、寝心地はやはりテントのほうが良い。EUに入ればだいたいキャンプ場はあるから、車を使った我ら貧乏旅行者にとって本当に都合が良い。


7月16日 今日はポーランド人女性を奥さんに持つMさんから薦められていたクラクフの旧市街を見学する。ポーランドで唯一戦争で破壊されたかった町で古い建物が残っているという由緒ある都市。ここに幾日か宿泊してじっくり見学していくよう薦められていたが、変わり者の我々は負の遺産と言われるアウシュビッツまでそれほど遠くないのをいい事に、こちらに少し時間を割いてみようと、すごく綺麗な町であるクラクフをそこそこにアウシュビッツの強制収容所跡地であるポーランド名オシフィエンチムまで行く。Mさんごめんなさい。そこまでの道路標示板が黒いボードになっているのには、何か重々しい空気が伝わってくる。到着してパーキングに車を止め、いよいよ強制収用所兼博物館に足を進めるも駐車場は有料だが入場料は無料だった。
この場所は行ってみるしかない所なので詳しい記述は止めるが、以前広島の原爆博物館を訪れた時のような悲しい気分になってしまった。
ここを夕刻まで見学し車を次の目的国チェコを目指して車を進める。明るいうちにチェコに入れればこの先の行動がが楽なのでとりあえず国境は越えてしまうことにする。そして、国境を過ぎて間もない所にあったキャンプ場に行ってみたが、お客さんはたくさんいるものの到着時間が遅かったせいか、受付が閉まっていた為、仕方なく隣にあった駐車場で車中泊となった。

7月17日 午前中には首都のプラハに到着、ここは杉ちゃんが以前来た事がありいい場所だからというので案内してもらう。また、この町で1泊しようと考え、以前彼が宿泊したドミトリーなどを当たるも観光シーズンとありどこも満員という事であきらめ、市内見学だけに留める。この町は今まで見てきた旧市街を持つ都市に比べると、町全体が旧市街みたいで格段に大きな町に見える。ドイツケルンの大聖堂に引けをとらない大聖堂など見どころはたくさんあったが、ここまで色々古いものを見学してくるとあまり感動しなくなってきているのが不思議だ。自分の歴史の勉強が足りないのだろう。
明日はもう目的地のドイツ、ここプラハから始まってドイツ国内へと続いていく古城街道を中心に走る事に決定。この道も今ではドイツへの主要幹のひとつに入るようで、拡幅工事が進んでいた。また、古城街道の途中にあってドイツ国境まで40kmぐらいのところにあるカルロヴィ・ヴァリ(ドイツ名カールス・バート)という保養地が興味をそそられる温泉という名前が付いているのにつられ、その町を目指して走り始めた。
だが、プラハの日中の気温が38度という暑さの中を歩いた為、疲れ気味になり、少し早めに宿泊場所を決めようとキャンプ場の看板を探していたら運よくカルロヴィ・ヴァリの手前でキャンプ場の看板を発見、ここで一泊する事にし、受付を兼ねたホテルの売店で買ったチェコの有名なビールで乾杯。

7月18日 降り出したばかりの雨の中、と言ってもこちらの雨は長く続かないから平気。早速カルロヴィ・ヴァリの温泉街を散策。イメージ的には高級リゾート地って感じで、温泉といってもホテルのプール以外入る温泉は無いらしい。ホテルの泊り客がどういう温泉の使い方をするのかは知らないが、一般旅行者用には特殊なカップを購入して飲む温泉がある。もちろん手で飲もうが何で飲もうがかまわない。あちこちに温泉の飲み場所があって少し鉄分を含んだ硫黄泉だが以外と飲みやすかった。建物の中にきちんと作ってある温泉飲み場には一番暑いところで72℃表示があり、その近くに7,8メートルの高さまで常時吹き出している間欠泉まであって名所になっていた。しかし、建物の中だしな~?草津温泉と友好を結んでいるらしく漢字で書いてある看板を一枚見つけた。
期待は裏切られたがヨーロッパ諸国の温泉利用というのはこういうものなのだろう。
さてドイツはすぐそこ。ガソリンスタンドで燃料を補給し、スタンドの売店で水と大きなバーガーサンドみたいなものを買い、腹までも満タンにして国境に向かった。

サンクト・ペテルブルク


7月11日 首都モスクワをあとに、片側6車線(実際には片側5車線)の環状ハイウエーに出て、モスクワから北に750kmほどに位置する、ロシア一美しい町と噂されるサンクト・ペテルブルグに車を走らせる。ここが我々の行く今回最北端の地である。
この日は、一度もポリスチェックを受けることなく走り続け、夕方にはサンクトペテルブルクに到着、ダウンタウンから程近い改装してあってそこそこ立派な大きなホテルに宿泊する。このホテルはロビーの雰囲気が今までロシアで宿泊したホテルの中で一番ホテルらしいと感じた。このサンクト・ペテルブルクは我々にとってロシア最後の都市となるので2泊して明日1日は市内見物に当てるする。車が市街地に入ってからダウンタウンに着くまでの間、綺麗な建物や大きな噴水が目に入り、止まって写真を撮りたくなるくらい、これまでのロシアとは違った美しい景観に驚かされた。

ロシアに限らず、何処にいても夏の日没は遅いが、夏のヨーロッパは本当に日が暮れない。特にここは夜の時間があるのかって感じで、太陽が斜めに回っているだけで暗くならない。どこの町に行ってもロシア人達が皆、明るい表情をしているのは、長い冬や共産主義の拘束から開放されたせいなのか?どうかはわからないが、日が暮れない夜を徹底的に満喫しているようで、見た目は資本主義社会の町と何ら変わらない。

7月12日 ありきたりの市内見物をする為、ホテルから有名なエルミタージュ美術館まで約5kmの道を徒歩で行く。
入館料は我々にとっては少し高い350ルーブル(約1800円)もしたが、世界の3大美術館だけあって、中世からピカソ、マチス、ゴーギャン、ルノアールといった近代美術まで見ごたえのある作品が数多く展示されていて感動ものだった。こればかりは支払った以上の価値である。
その後も水路の対岸に渡って写真を撮ったりしながら有名な場所を闊歩して一日を過ごす。

通算で約1ヶ月かかってロシアを走り抜いて感じた事は、ともかく広大で自然が美しいというのは言うまでもなく、こちらから飛び込んで行けば、人々は暖かく迎えてくれるという事だ。
ともかく広すぎる台地をただただ走って来ただけ、という忙しい旅になってしまったので、できればもっともっと時間を割いてのんびり回れたら良かったのにな~などと回想する。
それからロシアのレストラン等で食べ物を注文する場合、ロシア語がわからないと大変だ。食事はカフェで済ませたが、メニューが読めず、聞かれた事がわからず毎回苦労した。でもなぜかUターンしてまた戻ってみたくなる気持ちはいったい何だろう?

7月13日 ロシア最後の朝、ホテルで朝食を済ませ、サンクトペテルブルグを出発。本当のヨーロッパ、EU圏エストニアとの国境まで120kmほどである。国境に近づくとあいにくの雨、国境のゲートまで行くと係官が手前のどこかで国境通過用のティケットを買って来いと言うので、判らないままちょっと引き返し警官に場所を聞き、何とか購入。どうもロシアは複雑でならない。しかし、出国、入国の通関は以外にスムーズに済んでしまって、これでいいのかってもので、あっけにとられてしまった。通過させないのではなく、通過させてあげようという趣旨がうかがえて緊張するのでなく、安堵感を覚えるのは不思議である。ここはEUとの国境なのだ。

EU(エストニア)ではパジェロに対して車の一時輸入許可証も作ってくれない?日本の自動車登録証だけででOKなの?エストニア通関と隣接する場所で、EU圏内全て有効な保険(グリーンカードというらしい)に1ヶ月の契約をして、バルト3国の最初の国を走り出す。
途端に道路は良くなってこの上なく走りやすい。またマナーが良い。街中は50km、指定のない郊外は90kmになっている。しかし、殆どの車両は10kmオーバーぐらいで走行しているから早いのなんの。途中海が視界に入ったので、細い道を右に折れ海岸に向かってみた。初めての大西洋かどうか、フィンランド湾である。そしてそこで海の水に触れて手ですくって口に運んだ。「ショッパイ!」。人影はあまりないが砂浜が続く綺麗な海を見つめていると、とうとうユーラシア大陸を東から西まで走り抜いたんだ、やったぞ!という実感がこみ上げてくる。先はまだまだ長いのだが・・・・
タリン市内まで半分の距離も進まないうちから最高速度130km表示の高速道路のような立派なハイウエーが出現。早いの何の移動はあっという間である。タリン市内の旧市街を見学し、寝るところを探す為、ラトビア方向に車を進める。
途中キャンプ場マークを発見し、そこに決定。この旅初めてのキャンプ場、人も少なく料金は高かったが、初めてキャンパー気分を味わう事ができた。

モスクワだ! いよいよ仕事だ?


モスクワに到着

7月9日 今回の旅はモスクワをパスして真っ直ぐサンクトペテルブルグに行くつもりだったが、ビザ取得の為の招聘状がロシアオリンピック協会であったし、2014年の冬季オリンピックの開催がロシアのソチに決まったこともあり、寄ってみることにした。7月9日カザンの西100kmほどのところにあるモーテル駐車場を出発したのが朝7時、モスクワまでは約650km。「行ける!」なんせ信号がほとんど無く、道路が広く、スピード制限が無いに等しいロシアなら夕刻までには悠々着ける距離だ。カザンからモスクワまではこれまでと違って、まだ未整備の箇所もあるにはあるが、片側2車線のスーパーハイウエイ、モスクワ市内に近づくと信号は増えてくるが、それでもガンガン行ける。市内に入ると車が多く信号も多くなるが、車線も増える為、噂に聞いていたほど混んでいるという感じはしなかった。東京の渋滞に比べれはいいほうではないかと思う。今日はラッキーな事にポリスコントロールで一度も停められなかった。ここまで走り続けて来たので、もうそれほどポリスコントロールが気にならなくなってきた。
そして宿泊は、幻のモスクワオリンピックの選手村だった所、巨大な建物が4棟あって現在は別々のホテルに変わっており、そのうちのひとつで一番安いはずの『イズマイロヴォ・ベータ』に宿泊したが、結構高かった。ホテルとしては三ツ星の中堅だが上昇景気のロシアにあってモスクワは特に物価が上がっているのだろう。だが、ロシアオリンピック協会の招待者としてはピッタリではないかと思いここに決める事に決定。明日は市内見物をしてもう一泊する予定。

7月10日 ホテルは郊外にあるので、クレムリンの見学に行く為、メトロに乗る。ガイドブックには1回券7ルーブルと書いてあったのに、実際は17ルーブルもした。この3年ぐらいで相当物価は上がっているようだ。赤の広場を中心にクレムリン周辺をひととおり見学したが、さすがにロシアの中枢部、ともかく広い。観光客らしき人も多く、夏休みとあって子供達や学生風の人達もたくさん闊歩しており、周辺の公園でベンチに座り歓談している者も多く見かけた。
ただ、このクレムリン周辺は他のヨーロッパ諸国並に立派だが、少し離れてしまえば、ここ首都モスクワにしてもロシアのイメージは拭い去れない感もある。それから、イメージと違っていたのは高層ビルをほとんどというか、数えるほどしか見かけなかった事。土地だけは有り余るほど所有している国だから必要ないのかも?これだけあるんだから北方領土ぐらい返してくれても良いと思う。共有制度にしたらどうだろうか?しかし、首都モスクワも他の先進諸国同様、今後は数十棟もの超高層ビルを建てる計画があると言うから、数年後、数十年後の変貌した姿を見てみたい気がする。
明日は北のベニスと呼ばれているサンクト・ペテルブルグに向かう。

モスクワを掌中に


7月8日 朝8時過ぎに安ホテルを出発し、カザン、モスクワ方面に車を向ける。モスクワがターゲットに入ってきたが、相変わらず道路は良くなったり、でこぼこの舗装になったりを繰り返す。しかし、全般的には快適に走れるハイウエーが多くなる。でも、バイパスの無い大きな町に入ると、市内をぐるぐる回され、標識をうっかり見落としたりすると、まったく違う方向に行ってしまうから厄介。今回立ち寄ったイルクーツクやエカテリンブルグなどの大きな町に一旦入ると行き先表示がわからない為市内から脱出するだけでも大変だ。
それから関所と言ったほうが当たりかも知れないポリスコントロール。ロシア人とて例外ではなく、すべての車が減速し、時には一時停止し、警官の判断を仰ぐ、なるべく警官の目に触れないように、不審な動作をしないように走るのだが、パジェロのナンバーは形が違うので目立ってしまう。これまで何度か停止命令を受けたが何事も無く通過してきたので、もうここまで来ると、決して気分は良くないものの慣れてしまって、ポリスコントロールがあってもあまり気にならず、パスできる事が当前というような気構えになってくる。
それよりも、ロシア人ドライバーの早いこと早いこと。ポリスコントロールを抜けた瞬間からフルスピードでかっ飛んで行く。追い越し禁止もなんのその。だが、あちこちでパトカーが張っていて、運の悪いやつは結構捕まっている。待つ事を全く苦にしないロシア人がなぜこんなに急ぐのか不思議でならない。これまでの抑圧の反動か?

この日、途中で車の入って行ける沼を見つけ、あまりにひどく汚れすぎていたパジェロを洗った。ウランバートル以来2度目。また朝からとても暑い日だったが、まだまだ明るい夕方から雷雲がたち込め突然の雨と雷、できるだけモスクワ方面に近づこうと考えていたが、早めにモーテルを見つけ宿泊。

アジアからヨーロッパに入ると所々に麦の穀草地帯が見えてきて、ロシアの景色もこれまでとは若干違ってきた、ロシアの西部はやはりヨーロッパなんだと思うようになる。

ヨーロッパに入ってからも植生はそれほど変わっていないが、シベリアの大地を延々走りながら、写る景色を眺めていて、これまでは世界で一番多い木は松だど思っていたが、、いつまでも耐えない白樺が断突に一番ではないかと思い直す。ただの雑木に過ぎない白樺は暖房用に燃やされるとの事で相当数切られてしまっているようだが、まだまだ無限に近いほどありそうだ。
面白いのは松と白樺とナナカマドが同居して生えていることと、巨大な白樺の幹が松のようになっているのには驚かされる、多きいものは幹の直径が1m以上もある。

バーニャ(サウナ)&オフロードアドベンチャー


エカテリンブルク編
7月5日まだまだ陽が高い夕方、人口はおよそ150万人ほど、ロシア第3位の都市エカテリンブルクに到着、広い市内を渋滞に巻き込まれながら1時間ほどさ迷い、市庁舎前の広場に到着。ずうずうしくもターニア(タチアナ)に電話すると迎えに来てくれると言うのでしばらくそこで待つ。再会を喜び合ってから彼女の車の先導でアパートに向かう。ちょうど旦那のアンドレイが仕事から戻ったところで、もう一度再会を喜びあったのち、ロシアではごく一般的なアパートの7階に案内され、夕食を頂く。
今夜は20kmほど西にある彼ら郊外の別荘に泊めてくれるとの事で、皆で近くのスーパーで買い物をしたあと、パジェロを駐車場に残し、またターニアの車で別荘に向かった。アンドレイは自分の車(ロシアのジープ、ウアズ)で近道を抜けて先回りすると言う。なるほど帰宅時間のせいだったのか我々が到着した時にはアンドレイはすでに着いていた。彼らの別荘はすべて手作りで、4人ぐらい同時に入れる自慢のバーニャ(サウナ)まで付いていた。ターニアがマメなようで、広い庭にきれいな花をたくさん咲かせているし、手入れも行き届いていてとてもきれいだった。また玉ねぎなどを植えてある畑もあるし、更には白枠サッシで出来たりっぱな温室まであってトマトなどの野菜を育てていた。ビールで乾杯したあと早速バーニャへ、薪を燃やし約1時間で室内が90度になってしまう。石に水をかけたらもう大変、完璧。ロシアのサウナなので入り方もロシア式、小さな白樺の木や枝を切ってきて、さらに5、60センチにした小さな枝を束ね、手元を紐で縛る。これを水で濡らし余分な水を石にかけたあと、全身を叩きながら入り最後に水を浴びる。最高に気持良かった。
入浴後はウォッカで乾杯し食事、その後ドミノゲームで夜更けまで遊んでしまった。
エカテリンブルクではパジェロをはアンドレイの駐車場に置かせてもらい、ターニアの車(韓国デウの小型車)に便乗させてもらったが、その彼女、市内であろうが郊外であろうが、男子負けでガンガン飛ばしてガンガン追い越す。また、どのロシア人女性を見てもそう見えるが、どんな場所であろうとたじろぎもしないし、男も女も対等って感じで、強い強い。そうしなければ、冬が厳ししくとてつもなく広い国で生き抜く事は大変なのだろうとふと思った。


7月6日 アンドレイの仕事仲間であるアレクが加わり、エカテリンブルク市内から60km程の所にある名前は忘れたが、川カマスという意味の沼のまで一泊で釣りに行くことになった。平日であるのにもかかわらず、仕事は朝速く片付けて来たから大丈夫だとの事である。周囲6・7kmのその沼には1m以上の大物がいるそうで楽しみだ。
実際に行ってみると、沼に到着する10km手前からの道がとんでもない道で、本格的にオフロードを攻めた事のあるものでなければ到底到達できそうにない道。そこをロシアを代表する四駆のウアズと日産パトロールに分乗した我々は、果敢にアタック。スタック寸前の走行を何度繰り返し、やっとの事到着。

テントを張ったり、キャンプの準備をしたあと、寝不足のアンドレイを残し、エンジン付きのゴムボートを浮かべ4人で出漁したが、釣れた魚は私の上げた50cmの川カマスに名前の不明な魚が数匹と少なかったが、全員がヒット。これを料理の名人だというアンドレイにウハーという料理にしてもらって食べた。身をボイルしたあと、いったん身をはずし、ポテトをだし汁のなかでゆで、ゆであがったらまた身をもどして味付けをするという簡単な料理だがとても美味しいかった。ロシアを代表する魚料理らしい。
アレクの覚えた変な日本語でウォッカを飲まされながら、親交を深め、床に就いたのは夜の2時。

7月7日 二日酔いのまま起きて朝食をご馳走になりまたボートで釣り、この日2時間ほど大物に挑戦したが当たりはあったもののターニアの釣り上げた50cmの川カマス一匹だけ。でもこれで、木賊の仲間から頂いた釣り道具が陽の目を浴びた。それからは決してきれいとは言えない沼に飛び込みお風呂代わりの水浴をしたりして、ボートやテントを後片付け帰還の準備。帰りがけに途中の道なき道をウアズを運転させてもらったり、途中、湧き水のあるところまで案内してもらって、ロシアで初めてのペットボトルでない水を飲んだりした。通常の旅行者には味わえないロシアらしさを彼らのおかげで堪能させてもらう事ができた我々はラッキーである。
時間的には夕刻であり疲れもあって少し眠かったが、アンドレイとターニアに別れを告げ、自宅が我々の行く方向なので案内すると言って幹線道路まで先導してくれたアレクにも別れを告げエカテリンブルクを後にした。ほんの短い時間ではあったが、別れの時には胸に熱いものがジンとこみ上げてきた。ウォッカを飲んだのに・・・・

エカテリンブルグから少し行った所にあるアジア・ヨーロッパの分岐点で記念撮影でもしようかと立ち寄ったら、日曜日のせいか数組の新婚カップルが仲間達に囲まれ記念撮影をしたり、祝杯を上げごった返していた。ただの記念碑だが、現在はこちらが幹線道路になっているので、将来さらに立派なものが建つらしい。
暗くなり始めてからも少し走り続け、ピエルムという大きな町から少し行った安ホテルに宿泊。チェックインが深夜の12時だった為食事を取れなかったが、親切なおじさんが、24時間開いているお店が近くにあるから買って食べなさいとそこまで案内してくれたり、お湯をくれたりと色々世話を焼いてくれた。会うロシア人は皆本当に親切だ。

シベリア低地かっ飛び


イルクーツク→クラスノヤルスク→ノボシビルスク→チュメニ

7月1日イルクーツクを出てまずは1000km以上も離れたクラスノヤスルスクを目指すも、最初は高速道路のように快適だった道路が突然ガタガタのダートに変身、合計で300kmぐらい続いたのでないか。陽が沈まないのをいい事に走りに走ってクラスノヤルスクまでわずか100kmほどのところまで行ってしまった。暗くなり始めたので車中泊。
ロシアの幹線道路は大きな町に入ると突然途切れ市内をあちこち回される。標識を見失うと迷子になってしまい、誰かに聞かないと出られないと言った具合。また、こうした、町中や通過する村(部落)中ほど路面が悪い。これがロシアの道なんだろう。
ロシア人はスピード狂ではないかってくらい飛ばすし追い越しをかける。時速100km近くで走っていても当たり前のようにバンバン追い越して行く。道路が広いせいもあるがよく事故が起こらないものだと思う。ところがこうしたロシア人ドライバーも案外親切で警察がスピード違反や追い越し違反で張っていると対向してくる車はたいていパッシングで合図してくれる。

7月2日、しばらくの間ウェブから遠ざかっていたので、途中クラスノヤルスクでネットカフェを探そうと思ったがあまりに大きい町で脱出するのが大変だと考えここはパスする事に決め、インターネットの接続はノボシビルスクと決め一路車をぶっ飛ばす。しかし、この日は約900km走ったあたりで暗くなり始めた為ノボシビルスクの手前にあるモーテルに宿泊、設備は最低だがベッドで休む事ができたので体は楽だった。
7月3日 ノボシビルスクのダウンタウンに入り、イルクーツクへ電話をかけてお世話になったナターシャさんに無事到着を伝える。(とりあえずノボシビルスクに着いたら必ず電話をちょうだいとナターシャさんから言われていた)
その後ネットカフェを探しメールをチェック、掲示板に書き込みしようと思ったが、ロシア語が読めず、日本語バージョンに出来なかったので諦めた。また、いくら電話をしても繋がらなかったビタリーからの書き込みを読んで、指示通り別の電話をすると、彼はアパートを用意してあるから是非来るようにと要請してくれたが、彼の住まいはノボシビルスクから南に450kmほどの所にあるし、少し逆戻りすることになる為、二日がかりになってしまうし、行動予定が少々遅れ気味のになっている為、無念ではあったが丁重にお断りして先を急ぐ事にした。
ノボシビルスクから西のシベリアをシベリア低地と呼ぶようで、目に入る景色は多少沼地が多くなってくるが、白樺の林が途切れると地平線しか見えない。この日の走行距離は1000km近い。やっと見つけたオムスク郊外のバイパス沿いのカフェ件モーテルで食事をしたあと、空き部屋を訪ねたがいっぱいだった為、そこの駐車場(有料、60ルーブル=約300円)で寝る事にして車中泊となった。

7月4日 地図を睨めていたら行き先に変なラインがあるのに気付き確認すると、なんとカザフスタンとの国境になってしまうではないか。もともとは幹線道路だったところが、ロシア連邦崩壊後、少し北方向に別の幹線ルートが出来ているらしい。もちろん我々はカザフスタンのビザは持ち合わせていないし、一度出てしまったらロシアに入国することも出来ない。あと少しってところで気が付いたので、とりあえず国境からカザフスタンを垣間見てから引き返す。このあたりの白樺林がロシアで一番きれいだったような気がする。

新しい幹線道路方向に迂回すべく地図を見て行き先をチェック。まあロシアなので予測はしていたが、結構ひどい道を延々と走り続け何とか幹線道路に合流。夕刻が迫っていたから今日はホテルに泊まろうと、このあたりで一番大きい都市であるチュメニのダウンタウンに車を進めてホテルを探す、ボストークという駐車場付きの立派なホテル(久々)を発見、若干値は張ったが英語を流暢に話す綺麗な受付嬢に惑わされ宿泊。改装されていてとても綺麗な部屋ではあったが、この日はとても蒸し暑く扇風機を回しっぱなしだった。(高級ホテルは知らないがロシアのホテルには暖房があってもエアコンが無い)

スピード狂とバイカルリゾート


6月29日晴れ、前日遅かったが、とりあえず普通に起きて、ホテルの支配人ギアナにモーニングコーヒーを飲ませてもらい、もう一泊するというアンドレイ、タニア夫妻にエカテリンブルグでの再会を約束して別れを告げたあと、運転はしないというパジェロに乗せ、カザエフ一家とネスティの待つ70km離れたイルクーツク市内に向かった。
朝昼兼用の食事をご馳走になったあと、大学の試験にパスし学校はすでに夏休みだというネスティとトーマが運転するお父さんの監視付きカローラに先導されて2時間ほどイルクーツク市内を見学したのち、300kmほど離れた別のバイカル湖畔にあるリゾートまで行くことに決まっていたようで途中からお母さんのナターシャさんも合流して一路バイカル湖西岸にある
まで我々を案内することになり現在のロシアではお金持ちが急増してリゾート地に別荘を持つ人が増えてきているらしい。カザエフ氏もその一人でルスツヴァンカ以外にもイルクーツクから300km(こちらの住人にしてみれば近い距離、なんせ車の年間走行距離は10万キロ)ほどの所にある・・・・に、別荘を購入する予定だとかで、そこまで案内されてしまった。
そこは大きな入り江になっていて、対岸には大きな島がありとても美しいところで新しい別荘やコテージなどが点在していた。そこで、持ち込んだ食事やウォッカで晩餐会。

翌日30日は、ちょっと離れるた場所に移動すると、島に向かう船が出ている波止場があり、週末のせいか多くの人で賑わっていた。このあたりは数年もすると、大リゾートと化するそうだ。この日も昨日同様忙しく再び、300kmの道のりを途中カフェで食事を取りながらイルクーツクに向かい、さらに最初のリスツヴァンカのホテルへと大移動。我々には信じられないが、時速130kmでかっ飛ぶロシア人には普通みたい。
その晩も食事にウォッカをご馳走になりちょっと飲みすぎて羽目をはずしてしまって、表で転んで腕に擦り傷はつくるし、貸切のサウナとプールではしゃぎ過ぎ杉ちゃんに呆れられてしまうし、醜態をさらしてしまった。反省。

7月1日今日は別れの日、まずは朝、寝ているギアナを無理やり起こしたにもかかわらず、コーヒーをご馳走になったあと、お礼を言って別れを告げた。イルクーツク市内の道が不案内な為、市内の手前でカザエフ一家と待ち合わせる事にして合流したのち、ティムール経営のカフェで大量の朝食までをご馳走になり記念写真を撮った。昼食にたくさんの食べ物を頂き、パウルス用にとウォッカを預かったあと、一家総出で市境まで先導してもらった。そこで再会を誓い別れの挨拶を交わしたが、あまりにも親切にしていただいた事もありちょっとウルっときてしまった。ここでほっとしたのは、一番大変な通訳を買って出てくれた通訳のネスティーではなかったか。イルクーツクの皆さんありがとう!パウルスありがとう!

イルクーツクとバイカル湖


6月27日午後からしとしと降り出した雨がずっと止まない中、パウルスの義理のお姉さんのナターシャ(法律家)さんの家族、カザエフファミリーが待つイルクーツクに夕方到着した。イルクーツクに入った最初のポリスコントロールでチェックを受けなかった為、そこで長時間待っていてくれたご主人を除くナターシャさんと法律家を目指す学生、長男のサーシャ、医学を専攻の女子大生の長女トーマ(タマーラ)と、彼女の友達で通訳を買って出てくれた国際ジャーナリストを目指す、英語、ドイツ語の堪能な女子大生ネスティーを置き去りにしたまま市内に入ってしまったが、車に気付いて追いかけてきてくれた長男運転のカローラが運よく我々を捕まえてくれたので、事なきを得、感動の時を味わった。
その後さらに、ご主人のティムール(現職のイルクーツク地区警察の幹部でありながら有能なビジネスマン?)が経営するレストランで食べきれないほどの夕食をご馳走になりったうえ、イルクーツクから70kmほど離れたバイカル湖に面したリストヴァンカにある別荘兼ホテルまで、家族全員でカザエフ氏運転の左ハンドルのトヨタカムリに先導され雨の中を平均時速130kmの猛スピードで案内され、さらにそこのマネージャーであるギアナも加わってウォッカで乾杯、バイカル名産のオムルを中心ととした料理などをしこたまご馳走になった。パウルスの友達は私達の友達ということでイルクーツクに滞在中は何から何まで面倒見てくれるという、食事の後は家族達はイルクーツクに戻ってしまい。我々は休むだけ。なんという幸せな者なんだ!ロシア最高!
ただし、ロシアは危険な国だから、注意しないとパウルスに会えないかも知れないぞと釘を刺されたのは確かで、そう浮かれてばかりもいられない。

その晩、ホテルで偶然一緒になった、エカテリンブルクからバカンスに来ていたアンドレイ、タニヤ夫妻と意気投合し遅くまで飲んだりだべったりし日暮れの遅いバイカル湖畔の夜を満喫した。日の沈まないロシアでは普通だが、寝たのは2時を回っていた。
翌朝、時間的には昼頃から、アンドレイ、タニヤ夫妻と徒歩でイルクーツクミュージアム(水族館)を見学したり、フィッシュマーケットに行ったり、釣りを楽しんだりして一日を過ごした。そして、夜は夜でサウナにプール、はたまた、ダイスを振る何とかってゲームとビリヤードで午前3時ごろまで楽しく過ごした。
明日はカザエフファミリーの待つイルクーツクに戻り、一緒に市内を見学する予定。
ところで、釣りに関しては大小さまざまな種類の魚がいるにもかかわらず、岸辺のせいか大物は駄目、バイカル湖名産のオームリは釣れず、ハゼにそっくりのカジカのような魚ばかりでだったのですべてリリース、築地君からもらった釣竿を生かしきれないまま終わってしまった。バイカル湖にはイトウやアザラシ、チョウザメなどのほかたくさんの水生動物が生息しているから、本気で大物釣りをするのもいいですよと、ギアナが言っていた。

モンゴルから再びロシアへ


6月26日今日は再び国境を越えて再度ロシア入国の日。
ちょっと緊張するが、1度は入った国。あずさやのご夫妻に別れを告げ、9時頃混雑するウランバートルを出発し昼近くに国境に到着。見た目にはそれほど混んでいる様子はうかがえないが、全く前に進む様子がないので車から降りてカフェで食事を取ってもどる戻るもまだ変わらない。待ちくたびれた頃にようやく少しずつ動き出し。手続きを開始してまたびっくり。あとで判った事だが、モンゴルの通関がもたついていたのだ。バスが到着して混んできても窓口は増やさず、全くあわてずガムを噛みながらのんびりと仕事をしている。またどこの国も一緒だがおばさん達は列に割り込みするし、見ている係官もほとんど無視で注意もしない。時間がかかっただけで何の問題もなかったが呆れたものだ。それだけのんびりしているという事なのか?これがモンゴル側。

ロシアに入ると一変、手続きやチェックに多少の時間はかかっても流れはスムーズ、モンゴル側に比べると見るからに係官はてきぱきと仕事をこなしているのがわかるから好印象を抱いてしまう。我々は人も車もウラジオストックで作ってもらった書類がすべてそろっているたし、再入国ということで何の問題もなく通関できた。最後にゲートを空けてくれた女性係官の笑顔は素晴らしかった。ロシアからモンゴルに入る際は気付かなかったが、今回ロシア側に入ると景色がちょっと違ってきてもうヨーロッパに着いたのではないかというくらい木々の数が多くなったし、山並の雰囲気が変わってきた。
今日は一週間前お世話になったカフェのおじさんのところに世話になろうと思って、手土産を持って立ち寄ったてみたら、ウラン・ウデに行っていて不在との事。電話連絡を取ってくれたものの言葉は理解できないし、暗くなってきたので食事だけしてお土産を預けて退散。仕方なく近くで適当な場所を見つけて、そこに車を停め車中泊。ちょっと残念だった。

モンゴルの奥地へ


いよいよモンゴルの旅の始まりである。
本当はゴビ砂漠を目指したかったが、宿のご主人から「砂漠の奥に入ると方向を見失うし、車を傷める可能性があるよ」と言われ。車ならば世界遺産の場所や温泉、それに湖もあって釣りができるかも知れない、モンゴル中央部の山岳地帯、ハンガイ山脈を選択。一路かつてのモンゴル帝国の首都カラコルム、現在のハラホリンという町にある世界遺産エルデニ・ゾーに車を進めるも、一口に言って道路はひどく夕方になってしまった。当然見学時間は過ぎていたが勝手に入ってしっかりと見てきた。その先で車中泊。
翌日は期待のツェンケルジグール温泉へ。幹線から1時間ほど山奥に入った景色の良い場所にあるがやや幻滅、日本的で値段も高かった。あとから聞いたら日本人が作ったのだと言うではないか。な~んだ。温泉でのんびりした後、ツェツェルレグという町から西へ180kmほど悪路を進んだテルヒーン・ツァガーン湖に期待を寄せていざ進まん。途中4000m級の山に白い雪も見えたが、山と言うよりやはり大地の延長ってな具合。やはり湖への到着は遅くなってしまった。大きくてきれいな湖ではあったが、湖畔のすぐ側までが家畜の糞だらけ、これがモンゴルなのだろう。糞上泊。

更に翌日、開高健がイトウを釣り上げたという、湖から流れ出す川でキャンプをしている地元民に割って入り身振り手振りで話しかけ、つり談義、たしかにイトウ()釣り上げた大きなイトウの写真をみせてもらったりしているうち、イトウではないが釣り場に案内してくれるというから草原の中を車で10kmほど付いて行った。
30センチ前後のハヤかウグイの仲間ではないかと思われる魚がばたばた釣れる。つり方の常道はないみたい。
ダートを走行中、突然パンク。タイヤ内側のサイドが裂けて使い物にならなくなる。
それほどの厳しさを問われる。
ツェツェルレグで昼食、突然の砂嵐、ウランバートル市内に近づいたところの高級ホテルで宿泊(ツイン一泊日本円で2500円)

スーパーマッケットで果物と水を買い南方のゴビ砂漠を目指そうと考えたが、行った人の情報では道路が余りにもハードだというから、今後のことも考慮して西方のハラホリンという所にある世界遺産のカラコルム遺跡とさらに西方にあるというツェンケルジグール温泉を訪ねてみることにした。それでも最初は舗装の走りやすい道であったが、途中から幹線道路らしいものが途切れ、わだちだけがあちこちに広がる数本の道に別れ、どれを選択したらいいのか迷うような状況になる。そこは、勘が鋭くモンゴロイドの血を受け継ぐ我々、太陽の向きなどを見定めながら・・・・ゲルはあちらこちらにたくさん点在するので行き先の目安にはならず、結局小さな集落を見つけては何度か道を訪ねた。お礼の言葉に「朝青龍」の一言を添えると効果的面で笑顔が返ってきた。
今夜は草原のど真ん中で車中泊、北極星が高いところにあって、木賊だって捨てたものではないが、満天の星とはこういうものかって思う。

《モンゴル道路事情》
ウランバートル市内は車がひしめき合って大変混雑している。そしてどちらかといえば我先社会、マナーは余り良くなく、もたもたしているとぶつけられるのがおちだ。走っている乗用車の大半は日本車と韓国車で新車のランドクルーザー100を乗り回ている富裕層も結構いる。一番のステイタスはハマーだそうだ。
そのウランバートルを抜け出せば別世界、車両は少なく、市内に近い所はほぼ舗装されているから軽快に走れる。ただし、ロシアへ向かう幹線道路以外はしばらく走ると地図に載っている道でも途切れてしまう。というか、あちこちで工事は進められところどころ整備され初めてはいるが、多くは車の走った跡が草原の中にいくつも伸びていて、好きな道?を選んで走って行くと何とかたどり着くといった感じ。そして、小さな町に出ると行き先不明になり、またそこから道が新たに伸びているという具合。なれてくればこんなもんさってなもの。モンゴルは走りたい所を走ればそれでいいようだ。
携帯電話は奥地にいっても50件ぐらいある町だったら繋がるといった印象、これには驚き。

《モンゴルの山》
ある程度は日本のような険しい山もあるのかなと想像していたら、奥地に入ってもずっと丘陵のまま高度を上げていく。我々は標高2000mの地点まで行ってみたが丘陵地の延長のようなもの、僅かに見えた4000m級の山も少しだけ雪をかぶっているのが見えたが、山という感じではなかった。

ロシアからモンゴルへ

《ウラン・ウデからウランバートル》
ウラン・ウデの街はロシアとモンゴルを結ぶ主要幹線の基地みたいなところでモンゴル系の人>達が多く済んでいる。印象的には半分ぐらい居るんではないかと思われ、そこそこ大きな町だ。長居をするまでもなく、早々にモンゴルを目指して出発、国境までは約250km。

ところが途中で朝食にと寄ったカフェで気の良さそうなモンゴル系のご主人に捕まってしまった。「今日はわれわれの民族のお祭りがあるから付き合え」というので、車でついて行くと大きな湖が見渡せる絶景の小高い山の頂上まで案内された。
そこには信心深い100人以上の老若男女が集まっており、仏教の一種だと思うがお祈りをしたり、お神酒や小銭を捧げたりしたあと持ち寄ったご馳走を食べながら、わいわいがやがやと歓談しながらも儀式が進行していた。もちろん我々もたらふくご馳走になりゲストだと言うことで一人100ルーブルのお金まで頂いてしまった。
英語を話すハイスクールのお姉ちゃんに通訳をしてもらったら年に一度の "Rich Heart" のお祭りだと言っていた。もちろん我々もぎこちないながらも旅の安全を祈願した。そこで昼(3時)を回ったのでお礼を言って別れ、難関の通関が待つモンゴル国境へ向かった。

さて通関、書類は全て揃っているが何となくドキドキする。杉ちゃんは「ここで旅が終わるかも知れませんよ」なんて脅す。「性善説でいこう、何とかなるよ」的考えの私は通関の順番待ちを車内で待つ中写真を撮ろうとして、「なんでそんな事するの!」と杉ちゃんに怒られる。確かに下手なことをすると危ないロシアであるが、暑いし退屈だし。
1時間余りの待った末ようやく順番が回ってきたので、係官に再度入国することを告げ、書類の書き方を教わりながらなんだかんだで1時間を費やす。
そのあと何となくいい加減そうなモンゴル側の通関で車の書類込みで45分ぐらい。約3時間かかったのち無事モンゴル入りを果たした。

「ヤッター!!」二人に笑顔がこぼれる。ここからウランバートルまではまだ350km。時間は夕方7時を過ぎている、とても明るい時間には着けないだろう。さすがにモンゴル側に入るとゲルが点在しだし、馬、牛、羊の群れが見え始める。さあどこに泊まろうか?

《ウランバートル入り》
昨夜は途中で薄暗くなってきた為、国境から100kmほど走ったモンゴル第2の年というより雰囲気は町のダルハンという場所にある、比較的きれいなホテルに宿泊。ツインで1500円ほどでありロシアに比べたら格段に安い。実はこれでも高い方らしく、一泊500円ぐらのところもあるらしい。モンゴルの幹線道路には町の入り口付近に料金徴収所があって遮断機がついている。2度払いということは無いが通行料は約50円でウランバートルまでに3回あった。
初めて食べたモンゴル料理も結構うまかった。一食100円から300円ぐらい。
ダルハンからウランバートルまでは250km、どこまでも続く長い直線を幾度となく走り続け、景色にも飽きてきた頃にウランバートルに到着する。大きな盆地みたいな所に人と車がひしめきあっている。人が車の間をすり抜けてやたらと横断するし、車は車で我先という感じで、慣れないと運転し難い所だ。交通ルールが確立するのはこれからなのだろう。

ウランバートルでの宿泊は市街の中心部にあって、野口さんと言う日本人のご夫婦が経営するあずさやさんに宿泊。一泊5ドルのドミトリー形式。宿泊客も皆日本人なので日本にいるような雰囲気を味わえるし、詳しい情報がたくさん入るのでありがたい。
ここでやっとインターネットに繋げることができた。