2007年6月25日

チタ → ウラン・ウデ、陸送軍団との別れ


チタのホテルを出る朝、車を駐車場から出す際、偶然にもロンドンから車(レンジローバー)で日本に向かうというイギリス人の熟年夫婦に声をかけられた。こちらも車で旅をしている事がわかったらしく(ホテルの駐車場には、関係者以外の車は2台だけだった)「チタからウラジオストックまでの道はどんな感じでした」と聞かれ、「ともかくここから先はラフロードが延々1500km続きます」と答えておいた。こちらは「チタから先のポリスチェックはどうでしたか?」と聞いたら「何度も何度も会いました」という即答。お互い別の意味でこれからが大変だという気持ちで、グッドラックの意味もこめて「良い旅を!」と言って別れた。

チタからモンゴルへのロシア側の玄関口であるウラン・ウデまでは地図を見ると680km、西へ向かう国道に未舗装区間は無し。これまでの走行距離からすればなんてことはない距離であると9時頃余裕でチタを出発した。その通り、そのほとんどが高速道路ではないかと思えるような道路で、写真で見たモンゴルと錯覚しそうな場所や頻繁に列車が行きかうシベリア鉄道と併走しながら走る箇所があったりと風景の移り変わりを味わいながら走れる。もっともどんなにすばらしい景色が目に入ってきてもだんだん感動を覚えなくなってきているが、眺めの良い場所で何度か休憩を取りながら、予定通り午後8時ごろウラン・ウデに到着したまでは良かったが駐車場を確保できるホテルがなかなか無く、散々探しまくってチェックインしたのが10時。その頃までは日差しが強くとても暑かった。日中暑くも日が落ちれば涼しくて心地良いのは夏の短いシベリアの特徴か?ここは日本時間と同じタイムゾーンに入るが外は11頃まで明るく、モンゴルが近いだけあって東洋系の人種の多い町だ。

我々はモンゴルへ、陸送軍団は遥か西のモスクワ方面を目指す。共に悪路を走り抜いてきた彼らとの別れ際には言葉は通じなくも、握手をしたり手を振ったり、ホーンを鳴らされたりと不思議な連帯感を味あわせてもらった。おかげで車を駆っての今後の旅にもいっそう励みになった。陸送軍団ありがとう。

連日距離を稼ぐあまり、ネットカフェが開いている時間に間に合わず、また安いホテルに泊まっているせいもあるが、インターネット事情が良くないので繋いでいない。あすからモンゴルに向かうからウランウデに着いたら、ちょっとのんびりして、ウェブへの書き込みにトライしよう。

中古車陸送街道をチタに向かう


6月15日、長丁場と精神的疲労が残っていた事もあり、ホテルのチェックアウト時間の12時ぎりぎりまでハバロフスクでのんびりした。道に迷ったせいもあるが、車で2時間以上も市内をうろうろしてから、午後2時頃、やっとアムール川に掛かる橋を渡った。
ハバロフスクからチタの間シベリア大陸南部の中国国境沿いの、ツンドラ地帯を貫く2400km、うち1500kmが未舗装のとてつもない道路を我々は3日間で走り抜けた。巨大な大地にはただただ広く大きな丘陵と巨大な尾瀬や釧路湿原と述べたほうがわかり易いかもしれない巨大な湿原広がっており、チタまで数百キロに近づくと今度は果てしなく広がる北海道の美瑛と言い表した方がいいかな?そんな景色ののど真ん中をハイウエイが貫いていると言った印象。
湿原が多いのは永久凍土表面が解けているのか、もう気温は25℃前後もあり真夏のようなシベリアは暑いので湿原はまるでお花畑。しかも余り雨が降ってないようで、未舗装のダート道は誇りがすごい。パイパス工事が進んでいる場所は道幅は有に4斜線以上ありまあまあ走りやすいが、それ以外の旧道や橋の工事区間はこの上なくひどい。
特に急がなくとも良い旅であったが、そんな悪路(舗装だろうが未舗装だろうが変わらない)を100km以上のスピードでぶっ飛んでいる集団、ウラジオストックからモスクワ方面に車を陸送する切れ目のないぶっ飛び屋軍団と併走となったのとウラジオストックの滞在が長すぎたせいもあって少し距離を稼ごうと先を急いでしまった。
陸送軍団でも超スローペースになる場所だって相当ある。石はね防止などのガードはしているが虫と埃でひどい姿に変身している。あの走りを知ったら彼らが運んだ車を買えなどとは決して言えない。事実、途中でタイヤがバーストした車、下回りを打って停車している車、鹿に衝突して前部が破損した車など何台も見かけた。
彼らが立ち往生して困っている際に停止してバッテリーコードを貸したり、空気入れを貸したりした事もあって、何となく仲間意識が生まれてしまい、またガソリンスタンドでの給油時、カフェでの休憩や宿泊(陸送屋は車中泊、我々もこの間は車中泊)の時も一緒になるので抜きつ抜かれつのたびごとに手を振り挨拶するので自然と連帯感が生まれる。


ところで、アムール川を渡った初日の夜、食事を取ったカフェでクラスノヤルスクまで荷物を運ぶというトラックドライバーのイワンなる変なおじさんに読めないメニューを選んでもらったのが縁でロシア語の集中砲火を浴びいろいろな話を手振り身振りで聞かせれ、クラスノヤルスクに着いたら電話しろとか、ロシア人にもおせっかいやきがいるんだとつくづく思った。そして翌朝には朝食までご馳走になってしまった。また会えるといいな。


車の陸送はサバイバルに近い。乗用車は新車から7年以内の車しか輸入できないとかで、きれいな車ばかりが西へ西へと運ばれていく。そういった陸送に携わるロシア人達、もちろん一般のロシア人は本当は人懐こく、明るい事が判明した。そんな彼らたいてい、携帯電話とデジカメを持っている姿はどこも変わらない。

2007年6月21日

ポリスチェックを経てハバロフスクへ


やや薄暗い感じの6時に起床、いよいよハバロフスクに向けて出発する日である。朝食を済ませ、荷物を片付けてホテルをチェックアウトし車に衣類などの荷物を積み込んでエンジンスタート。パジェロは快調。
7時半出発、順調にウラジオストック市街を通過しアパートが立ち並ぶ郊外に出る。場所によっては結構渋滞しているからウラジオストックも大きな町である。その郊外を抜けた所にある警察のチェックポイントに来たらいきなり停止命令。噂には聞いていたが、地元ナンバー以外のものは即これらしい。車両関係やパスポートを含むすべての書類の提示を求められ、車から降りて事務所まで来いと言う。挙句の果てにアルコールの検査までやらされ、飲酒運転だなどといちゃもんまでつけられたが、なんとか解放される。この先が思いやられる。案の定ハバロフスクに着くまでの間5回も検問を受けた。気づかれずに通過した場所もいくつかあるが、そこら中で警官に見張られているといった感じだ。権力の行使にもほどがあるってもんだろう、ロシアってなんて所だ! 二人とも気を抜く間がなく神経ズタズタ。それでも引き返すことは出来ない。前進あるのみ。

バロフスクに着いたのは夜9時半頃、と言っても太陽がなかなか沈まないからまだ明るい。安そうなホテルを探しチェックインしたのは10時を過ぎていた。

ここまでの約750kmの間の道路は高速道路並みに快適・・・・なところもあったが、ボコボコ、途中工事区間も数箇所あり砂ぼこりをあげての走行もあった。だが、景色はバツグン!どこまでも続く地平線とところどころに花の咲く巨大湿原、北海道の比ではない。はすか彼方に見える山というより丘陵、延々と続く白樺林。ここがシベリアだ!と思わず叫んでしまいそう。どんな言葉を用いても表現不可能であって、実際自分の目で見なければ理解できないだろう。それでもまだシベリアのほんの入り口に過ぎない。

ハバロフスク市内はウラジオストックとは違ってとてもきれいな町でダウンタウンから外れたアムール川沿いは大きな起伏がたくさんあり坂道が多い、また道路を走る車も洗車が行き届いている。

明日はアムール川を渡る。

車の引き取り


到着日以来の晴れ渡った朝を迎えた。いよいよ今日は税関が車両の通関業務を開始する日、午前中コンスタンチン氏がホテルの部屋へ直接やって来て、今日中に車が出せるよう掛け合ってくるから午後3時になったら税関に行こうと出て行った。ところが1時間早い2時にやって来たから度肝を抜かれた。素早い!もちろんそれなりの手数料を払う約束をしてあるので当たり前かも知れない。
そこは港の保税倉庫とは別の場所にありたいして広い場所ではないが人と車でごった返していた。そこへ行き書類はブローカーと呼ばれている専門家にお任せ、3,40分待ったが割り込む形でパスポートや保険証券を提示し通関書類にサインをして完了。あとは保税倉庫に行って船降ろし代と保管料を支払えば車を受け取れる。現在この場で書類を提出している人達が車を受け取れるのはさらに2日後だそうだ。
保税倉庫に着いたのはは4時頃になってしまったが、支払いを済ませたあと係りの物に書類を見せいよいよ我がパジェロをを出してもらう事になった。行く手を阻む車を移動し、パジェロが運転できる体制で手元に届いた。ナンバーを日本国内用から国際ナンバーに付け替えいざホテルへと思いきや、、ポリスコントロールという頻繁に出くわす警察の検問対策として書類以外に消火器とファーストエイドキットそれに非常用の三角反射プレートが必携品だと言われカーショップまで案内してもらって購入。ホテルに着いたのは5時を回っていた。10時過ぎまで明るいので出発できない訳ではないが、無理せずもう一泊して、明日ハバロフスクへ出発する事に決定。英語が流暢でユーモアのセンスもあってちょっとせっかちなロシア人らしくないコンスタンチン氏に手数料を支払いお礼を言って別れた。このあとどうするか迷ったが、陽はまだ高かったので昨日行きそこなった鷲の巣展望台まで行ってみる事にするも、道路が渋滞していたので車はホテルの前に止めたまま徒歩で向かうことにした。
Tシャツ1枚でも汗ばむような陽気だったが、高台にあって適度に風が吹く展望台はすずしく、うわさ通りの眺めの良さに満足した。

いよいよ明日はハバロフスクに向けスタートを切る日、胸が高鳴る、早く寝て早く起きよう!

建国記念日


ウラジオストック3日目の朝、濡れた路面を走る車の音で目が覚めた。すぐに外気を入れるべく寝ている3階の部屋のカーテンを引き窓を開けてみるとやはり外は霧雨状の雨が降っている。でも、道行く人に誰一人傘をさした者がいない。とりあえず外出は可能のようだ。
ホテル代に朝食が含まれているので(安い部屋なので若干の差があるが)遅めの朝食を済ませ、しばらく部屋でのんびりした後霧雨の街に繰り出す。やはり傘をさした者は誰もいない。海軍兵学校の学生とおぼしき征服を来た団体とすれ違う。遠くの方から音楽も聞こえてくる。今日は建国記念日で中央広場あたりに人が集まっているらしく、近づくにつれ音はだんだん大きくなってくる。ホテルから中央広場までは歩いて20分程度の距離にあり、着いた頃は特設ステージの上できれいな民族衣装を身に着けた男女がをコサックダンスを踊っていた。
今日1日は何をするという予定もない。晴れていればカメラを持ってウラジオストックの市外や港を一望できる"鷲の巣展望台"にでも行ってみようかと昨夜寝る前に決めていたのだが、この天気では展望台に行ったところで何も見えないので、今回もその辺の商店をぶらぶらしてみようという事になった。杉ちゃんがロシアの地図が欲しいというので本屋を探し、ロシア全土が載っている物をじっくりと見定めたうえで一冊を購入。だがロシアはとてつもなく広い国であり詳細とまではいかなかった。どんなに立派な地図でも全土をカバーするとなると大雑把になるのは仕方ないのだろう。そのうち昼になったこともあり安くて旨いものを食おうということで先日訪れたフィッシュマーケットへ向かった。
予定より長い滞在となったので、夕食はホテルの部屋で済ませようじゃないかと帰り道はダウンタウン方面に回り、バスターミナル近くのスーパーマーケットでピロシキにサラダにりんご、そしてビールを買い込んだ。それから我々が日本から持って来忘れた唯一の物、やかんを探すべくあちこちの店を見て回ったが、結局みつからなかったので後日にしようとホテルに戻る事にした。
後日金物屋を見つけるも日本以上にやかんは高いので買うのをあきらめた。

こちらに着いて感じた事だが、右側通行で右ハンドルを操るドライバー達は、人が道路を横断しかければ必ず止まるしやたらにホーンも鳴らさない。運転マナーはすごく良い。

通関書類


前日はビールで少し酔ったのせいか久々に歩いたせいか早々に、とはいっても10時過ぎまで明るいこちらでは時間的には夜であったがまだ宵の口に寝てしまった。寝る少し前、「明日、税関の担当官が保税地区いるので話が着いたら書類作成の為、午後1時に通関業者と車の確認に行こう」とコンスタンチン氏からの伝言が入った。7時頃ベッドから起き上がり朝風呂に入ってからホテルのレストランで食事をしたあと、杉ちゃんと市内のパンプレットに目を通し、ホテルから歩いていける距離にある与謝野晶子記念碑と浦潮本願寺(こういう場所がある)方面へ行ってみる事にした。昨日と変わって市内はモヤがかかっており長袖が無いと肌寒く感じる陽気だったが行ってみるも、与謝野晶子記念碑は大学の片隅に小さな碑がひっそりとあるだけのもの。一方の「他力本願寺」いや「浦潮本願寺」は見つからなかった。その後マーケットなどを散策しダウンタウンで昼食を取りホテルへ戻る。
午後1時を少し過ぎた頃ドアーをノックする音がしたので出てみるとコンスタンチン氏が迎えに来てくれていた。「話がついたから車の確認に行こう」また「休み明けの水曜日は非常に込み合うから、今日中に書類を作ってしまえば当日は早めに車を出せるかも知れない」と言う。もっとも今回のルーシー号で輸入された中古車の数を見ればうなずける。彼の車に乗って休業中の税関に向かった。ここがロシア、750ルーブル(4000円弱)で税関職員を買収したという。これはもちろん素直に支払った。一泊のホテル代を考えたら安いものである。通関業者の人も到着しており、やたらに立ち入ることの出来ないはずの保税地区に入ってシャシー番号、日本では必要ないエンジン番号まで確認した。ほとんどが日本からの中古車で埋まっている保税地区の建物の内外にあって、我がパジェロを以外にも簡単に発見できたのは幸いだった。その後、通関業者の事務所に行きコーヒーなんぞをご馳走になりながら待っている間に税関申請用の書類作成してもらった。そして、ともかくサインは済ませた。だがまだ終わったわけではなく休み明けの水曜日が本番なのだ。
こうしたペーパーワークをいかにスムーズに進めるかが車両を持ち込んでロシアを走る場合のポイントであるようだ。我々は多少の手数料を払う事は覚悟の上で、この通関がスムーズにいくよう、あらかじめ日本にある窓口のF氏から人を手配してもらっていた。中には、1週間以上も余儀なく足止めをくらって、かさむホテル代の支出に泣く者もいるらしい。
日曜日からの3連休中、ここまで出来ればもう安心か? それとも・・・・ここはロシア・・・・パジェロはいつ手元に、いつ乗り出せるのか?
明日はロシアの建国記念日でメインの祭日である。ロシアの人達は誰もが皆寝ているそうだ。一日中予定のない我々は何処へ行ってみようか?明日になったら考えよう!

夜11時前だったか、突然電話が鳴ったので受話器を取って"ハロー"と言ったらセクシーな女性の声が・・・・"Do you speak English?" "Yes.????" " Do you like beautiful girl?" "Yes ofcorse, but......"

First step to Russia


我々の乗ったルーシー号は国際フェリーというよりも中古車運搬船、乗客数は7,80人ってところなのに、積める所ならばどこでもってな感じで、水を抜いたプールの中にまでもぎっしり車がひしめいている。なんと1年間に日本からロシアに輸入される中古車の数は約30万台もあるそうだ。そう、右側通行のウラジオストック市内を走っている自動車の95%が右ハンドルの日本車だ。しかもパトカーまでもが。ただバスだけは乗降口が反対のせいか韓国製がほどんど。ルーシー号が出向してからというものする事といったら食事だけ、37時間も退屈な時を過ごさねばならなかったが、出向してからの船内は完全にロシア、衛星テレビの放送はシャラポアまでもがロシア語でコマーシャルに出ているくらいですべてがロシア語でまったくわからない。ただしレストランで出されるロシア料理はとても美味かった。ロシア人以外の外国人はロシア人扱いされている変なイスラエル人に26歳のスイス人学生Kasperと我々二人だけ。まあ船内ではスタッフの美女達が色気を振りまいてくれていたからよしとしよう。そうこうしているうちに2回目の朝が来てルーシー号は入り江の中に向かってどんどん進んで行き、しばらくしたら船のフリッジからウラジオストックらしき町が見えるようになってきた。

ルーシー号は2時間早く到着、出ないと思っていた朝食のアナウンスがあったので、レストランで得した気分で食事をしKasperにまた会おうといってから船室に戻って下船の準備。定刻のロシア時間午前9時いよいよ下船、日本に一番近いヨーロッパの大地を踏みしめる。ここでウラジオストックから5,000kmのノボシビルスク近くの自宅まで車の通関が済みしだい5日間で走るというチャリンコを引いたVitaliiという愉快な若いやつが声を掛けてきたので、しばらく話して再会を約束する。
通関は荷物をたくさん抱えた親切なロシア人達が先に行けといってくれたのでスムーズに終了。だが、車の通関が済むのは3日後、走り出しは4日後かも知れないのであらかじめ予約してあった港近くのホテルに直行しチェックイン。ここで車の通関を手伝ってくれる事になっていた、年の頃は50歳ぐらいの人柄の良さそうなコンスタンチン氏と落ち合い、即彼の日産エクストレイルで通関業者の事務所まであいさつに行き、再びホテルに送ってもらったあと今後の約束をして分かれた。
そのころには腹が減ってきたので、ホテルのそばのマーケットでパンと飲み物を買ってきて昼食を済ませウラジオストックの町に繰り出した。物価は高くはないがそう安いわけでもない。
ロシアの第一印象はこれまで抱いていたイメージとだいぶ違い走り回る日本車を除けば正にヨーロッパそのもの、行きかう人々もごく自然で、目つきの鋭そうな人など見かけないし、にぎやかな町並みからは社会主義の気配すら感じない。男女共ファッションは先進国並で夏に入ったせいもあるが露出度も高い。何といってもモデルのような美女がたくさん闊歩しているを見ているだけで来た甲斐があると思ってしまうくらいだ。ただし、道路はボロボロ、裏通りはどちらかと言えば汚い。これほど美人の多い町にしてはまだまだ共産圏って感は拭い去れずに残っている。・・・・ここはまだ極東、西へ行けばもっと違うんだろう。そう言えばモスクワ近郊に住んでいるというルーシー号のスタッフの女性がサンクトペテルブルグはとても美しいところですと言っていた。楽しみではあるが、今後我々も訪れる予定ではいるが物価も西ヨーロッパ並と聞いているから貧乏旅行者としてちょっと心配。
この時期は朝7時頃から夜10時頃まで明るく賑やかさも夕方になってからが本番。我々も夕食を兼ねて出かけてみると連休のせいかどうかサッカースタジアムやフィッシュマーケットの近辺は特に人出が多く巨大テントを張った店がたくさんあり、何処も飲めや食えやの大賑わい。そこで、なんとボイルしたタラバガニを発見、食べない手は無い。しかも日本円に直してもキロあたり1500円。他にビールとシャワルマなるものを注文しタラ腹食べた。
こちらに着いてから感じた事だが無口で冷たいと思っていたロシア人もエッと思えるくらい親切だし、よく笑うし何処がロシア?て感じ。またウォッカばかり飲んでいるアル中人種かとかと思いきや、ほとんどの人がビールを飲んでいた。最近ウォッカはあまり飲まれなくなったというから安心した。
でも杉ちゃんみたいに勉強家でない私にはロシア語が読めない。看板に何が書いてあるのか、どう発音したらいいのか全くわからない。それでも、スパシーバ(ありがとう)が言えるようになったからいいだろう。

Voyage



Webに書き込むチャンスができたので少しづつロシアの旅を書こうと思う。

まず最初に、先日永眠された釣り名人田中さんのご冥福を心からお祈りいたします。

土壇場まで出発の準備やら、キャンプ場の引継ぎに追われ書き込みができなかったが、6月8日午後5時30分、ロシアの船にしては以外にも定刻より30分ほど早く富山県の伏木港を出向したルーシー号に無事乗船することが出来た。そして6月10日現地時間(日本より2時間早い)の朝7時、これも予定より2時間も早くウラジオストックに到着。

その後、港近くのホテル「プリモーリエ」にチェックインし車の通関手続が済むまで市内観光を兼ねて滞在する事となった。10日が日曜日で12日がロシアの建国記念日に当たる為お役所も3連休とかで手続きが出来ないので、現在はウラジオストック市内を杉崎と二人でぶらぶらと散策し暇を持て余している状態。

ここで、若干さかのぼってタイヤの件に触れるが、千葉県四街道市で4WDショップ『斉藤オートサービス』を経営し、海外ラリーにも参戦経験を持つ齋藤氏の口利きでヨコハマタイヤさんが半値で新品タイヤを供給してくれる事となり、車に関しては完璧な状態となった。
6月5日夜11時過ぎ佐倉の自宅を出発、常磐線の取手駅で杉崎をピックアップしシルクバレーに向かった。6日は仮眠を取ったあと留守を引き受けてくれる大黒さんに引継ぎをして、キャンプ場のゴミ整理。その後、持っていく荷物の整理や積み込みをしたり、車のエンジンオイルやデフオイルの交換をしたりして出発準備に追われた。それと、しばらくおあづけの岩風呂を堪能した。
7日昼頃大黒さんに見送られシルクバレーを出発、只見の「美好食堂」に立ち寄って昼食を済ませたあと宿泊予定の長岡の保坂邸に向かう。この日は予報に反して朝から晴天で暑いくらいだった。約束の時間より早めだったので途中スーパーマーケットやホームセンターに寄って足りない物などの買い物をしてから保坂邸を訪ねた。保坂君の行為に甘えお邪魔する事になったが、ここは時間的に木賊と船が出る伏木港の中間に位置し我々にとっても絶好の場所でありありがたかった。また、食べきれないほどの料理でもてなしていただき、乗り乗りの奥さんや家族の皆さん達とお酒を飲んだりして、出発前夜を楽しく過ごさせてもらった。
翌朝またもや晴天、この日休みを取ったという保坂君や家族の皆さんに見送られ7時半ごろ長岡を出発、高速道路で富山を目指す。予定通り10時過ぎに伏木港に到着、伏木海陸運送さんに車の通関手続きをお願いする。この通関で合同庁舎に出向いた際「輸出抹消の書類が足りないから手続きは出来ません」と言われ焦る。だが、伏木海陸運送の菊池氏が「うちはいつもこれでやってます」という一言が効いたのか、その件は解決し、「午後から再度手続きをしに来ます」と言うことで胸をなでおろす。国際フェリーで出向したらフェリーで持ち帰らねばならないという法律があるようだ。ふ~ん・・・・。
昼休みの時間は近くの海岸にある公園まで行き、出発の朝昼食用にと保坂邸からいただいたおにぎりを頬張った。その後、小用の為コンビニに向かい駐車場に車を止めて入ろうとしたら、突然見たことのある車が脇に止まった。かんちゃんとジョイトイがこんな遠くまで見送りに来てくれたのだ。これには杉も私もサプライズ!

昼頃から雷が鳴り出したと思ったら突然のにわか雨、いやな予感もしたが、無事に車の通関と乗船の手続きを済ませた。3時の乗船まで時間があったので、4人でオープンしたばかりの港近くの喫茶店でコーヒーを飲んで別れを惜しんだ。見送りありがとう!そして、ごちそうさまでした!